ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

CCの恵み(1)

 先週末(5/27−29)にシカゴ郊外で開催されたJCFNセントラルカンファレンス(CC06)が無事終わった。CCは今年が4回目で、参加者数は過去最多だったと思う。十数名の準備委員は、地元イリノイ州だけでなく、オハイオ、ミシガン、インディアナから集められ、今年一月から月一回のペースで集まり、足りない部分はメールで連絡を取りながら準備を進めて来た。私はフル参加をしたのも準備委員として参加したのも今回が初めてだったが、圧倒されるような主の恵みが注がれ、本当に感謝な経験だった。

 CC前の最後の一週間は特にハードだった。そもそも5月というのは例年一番忙しい時期で、子供たちの学校の年度末の様々な行事と重なり(ぼぼるパパも大学の年度末と重なり)、やるべきことを考えるだけでも頭の中ははち切れそうだったし、すでに睡眠不足が続いて体力は限界へとまっしぐらに突き進んでいたし、特にCCの3日前あたりは敵からの攻撃もすごかった。だけど、神さまは御言葉をもって、攻撃が激化する前から私を励まし、敵がどういう策略を使って私を攻撃するかも教えてくださっていたので、御言葉に留まることで乗り切ることができた。攻撃があったから私は働きの手を一旦止めて祈りと御言葉に集中することになり、ますます主に近づき、ますます主からの励ましと祝福を受け取り、結果として、サタンにとっては逆効果だったと思う。またCC二日前には、私の個人的な問題で主から深い語りかけを受け、そのことで私個人としてもますますCCに対する期待が高まった。

 今年のCCは、このブログにも掲げているマルコ12:29−31を主題に、神との関係、自分との関係、他者との関係という「三つの関係」がテーマだった。講師は北米ホーリネス教団サンディエゴ日系人教会牧師の大倉信(まこと)先生。 先生は、ヤコブの生涯においてこの三つの関係がどのように回復されていったかを中心に、私たちの心の奥底に触れる深いメッセージを分かち合って下さった。特に、自分との関係というものが、親との関係によっていかに影響され、歪められてしまうものであるか、そこから解放されるにはどうすればいいのか、私自身子供として、また親として、痛いほどに語られた。大倉先生のメッセージはとても素晴らしかったので、詳細はまた改めてゆっくり書きたいと思う。

 CC全体のプログラムは以下のような流れ。

  • 初日: レジストレーション/アイスブレーカーとしてのゲーム、第一全体集会、特別集会(シカゴ地元の黒人教会のゴスペルクワイヤによるゴスペルワークショップ)、スモールグループ(SG)
  • 2日目: 早朝祈祷会、リフレクション集会、聖日礼拝(各自でウィロークリーク教会または地元の日本人教会の礼拝に出席)、各種ワークショップ、第二全体集会、SG
  • 3日目: 早朝祈祷会、第三全体集会 記念撮影

 ゴスペルワークショップは、CCとしても初めての試みだったし、私個人としても初体験だったけど、とても楽しかった! 日本でゴスペルが流行り、伝道に大いに用いられているのも納得。今回来てくれたゴスペルクワイヤは何度も日本遠征したことがあり(5年間で8回行ったとか)、ワークショップの経験も豊かなため、とてもスムーズで、あれよあれよという間に私たちは3曲も歌えるようになっていた! ゴスペルワークショップ目当てで来てくれたノンクリスチャンの方たちもいて、今後につなげていきたいと思わされた。

 今年のワークショップは、「帰納的聖書の学び方」「週刊誌には書かれていない結婚」「人間関係と境界線」「キリスト教Q&A」「帰国者セミナー」、そしてアメリカで日本人伝道に重荷を持って働いておられるノンジャパニーズの方のために英語で二つのセッション、「Recent Trends in Japanese Evangelism」と、アメリカでクリスチャンになった4人の日本人をパネリストに迎えての海外日本人伝道に関するディスカッション。
 私は「人間関係と境界線」を担当させていただき、80分があっという間で楽しくできた。もっと時間があったらもっと具体的な話もできたのだけれど、ちょっと私の段取りが悪かった。始まる時間になった時点では15人くらい集まっていたので参加者全員に簡単に自己紹介していただいたのだけど、その間にもどんどん人が集まって、結局自己紹介だけで15〜20分くらいかかってしまった。(^_^;; でも、みんなに一言ずつでも声を出してもらうだけで、その後のセミナーの雰囲気が随分違うと思うので、自己紹介してもらって良かったとは思っている。

 リフレクション集会についても書き留めておきたいが、他のことといっしょくたにしたくないので、それはまた別途に。

 二泊三日の短い修養会だったけれど、中身はとても濃かった。JCFN本部から来てくれたシモベ主事も、いろいろな参加者と話してみて、一時的なexcitement ではなく、「自分」という人間の深いところで主に取り扱われた人が多いカンファレンスだったようだと後から言っておられた。それは、準備委員が準備の過程の中でまさに祈っていたことだったので、それを聞いて嬉しかった。

 今回、各準備委員もそれぞれの担当分野で、かなり自分の限界をいろんな意味でストレッチして頑張ったと思う。みんなが、お互いの足りない分を補い合い、支え合いつつ自分の仕事に責任を持って従事している姿に、私はとてもとても励まされた。適材適所… というか、もしかしたら最初にそれぞれの仕事の割り当てを決めた時は、必ずしもまだ適材ではなかったかもしれないのだけれど、約半年間かけて準備をしているうちに、神さまが私たちをそれぞれの持ち場への「適材」に育て上げてくださった、整えてくださった、そんなふうに感じる。
 また、カンファレンスの前日には私たちの「ルースエンズリスト(loose ends list)」(ルースエンズとは、まだ片がついていないこと、という意味)にはいろんなことがズラーと並んでいて、ええーっ、前日にこんなにルースエンズがあって大丈夫なの?という感じだった(笑 今だから笑える)。それなのに、私たちのやることは穴だらけだったにもかかわらず、不思議とどの穴も埋められていき、最終的には神さまからの恵みをたっぷりと注いでいただき、それを受け取ることができたのだから感謝だ。CCのテーマであるマルコの御言葉と共に、エペソ4:1−16をみんなで体験させていただいたように思う。そして、これは大倉先生の3日目のメッセージを通して語られたことでもあるのだけれど、ピリピ2:3「何事も党派心や虚栄からするのではなく、へりくだった心をもって互いに人を自分より優れた者としなさい」の御言葉の意味が、改めて心にしみた。それからエペソ5:21「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい(Submit to one another out of reverence for Christ.)」の御言葉も心にずっとあった。ある時は一刻一秒を争うような修羅場のようにもなり、その中で聖霊の流れを消すことなく、参加者がより深く取り扱われるためには何をすればいいのか、またチームの中でどうやって一致を保つのかというチャレンジに直面もした。そんな時、共に労している兄弟姉妹の中に住まわれるキリストの霊のゆえに互いに膝をかがめ合い、服し合うなら、それがどれだけ麗しい結果をもたらすことか、今回、それをひしひしと感じた。本当にね、私は、みんなの中に住まわれるジーザスを見たんだよ。だからどんなに大変な時でも、パニックしそうになった時でも、感謝して、喜びをもって、みんなを信頼して頑張れたよ。

 なんだか、ダラダラと書いてしまったけれど、本当に素晴らしい祝福をいただいた。準備のプロセスを通して学んだこと、大倉先生のメッセージを通して語られたこと、ぼぼるパパと一緒にやらせていただいたワーシップリードや祈りの奉仕を通して体験したこと、CC全体を通して示されたこと… これから一人でもう少し思いを巡らせ、ゆっくり噛みしめてみたい。

 あっ、祈りのチームで遠くからも祈ってくれていた皆さんのためにも、これから報告を書きますね! 祈っていてくれてありがとう! 

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