ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

夫には無条件の尊敬を

 今日は、教会にShaunti Feldhahn(ションティ・フェルダーン)という女性の講師が来た。今うちの教会では『God Invented IT!』という、神が造られた性とは?というテーマのメッセージシリーズがなされているのだが、今週はその3回めで、女性が知っておくべき男性の心のうち、というような内容の話だった。壇上に椅子が二つ並べられ、パスターがションティにインタビューするという形で行なわれた。(ちなみに、先週はその逆で、男性が知っておくべき女性の心のうち、というメッセージ。)
 ションティはもともとウォールストリートで働くアナリストで、データを集めてそれを分析するプロだった。今ではアナリストをやめ、クリスチャンの小説を書いたり、新聞のコラムニストとして活躍しているらしいが、自分が書いている小説の主人公の男性(性的誘惑に苦しむまじめで敬虔なクリスチャン男性)の心を表現するために、何千人もの男性に個々にインタビューしたり、調査会社に調査を依頼する中で、男性が言葉に出して表現することは少ないものの、心の奥で感じていることが何なのか、知るにいたったのだそうだ。

 彼女の調査結果が示した第一番は、「男性は、愛されること以上に、尊敬されることを求めている」ということ。 「孤独で、世界の誰からも愛されていない」と感じることと、「自分は無能で、誰からも尊敬されていない」と感じることの、どちらか一方を選ばないといけないとしたら、どちらを選びますか?という質問に、約4分の3の男性が「孤独で、愛されてない」と感じる方が「無能で、尊敬されてない」と感じるよりはいいと答えたそうだ。
 女性は愛されることを求めるが、男性は尊敬されることを求める… 意外なようでいて、実は聖書に書かれている通りだとションティは言った。エペソ五章は、夫には「キリストが教会を愛したように、自分の妻を愛しなさい(25節)」と言っているが、妻には「主に従うように、自分の夫に従いなさい(22節)」「自分の夫を敬いなさい(33節)」と言っている。神様は、ちゃんと女性と男性のそれぞれのニーズをご存知で(というか、神様がそのように造られた)、夫婦がそれを互いに満たし合うようにと命じておられるのだ。私たちは「無条件の愛」というコンセプトはよく知っているが、「無条件の尊敬」というとどうだろう。愛するに値しない人を愛することはできるとしても(容易ではないにしろ)、誰かを尊敬するためには、それなりに尊敬に値することをしてもらわないと困る、そう思うものではないだろうか。ところが、夫婦の間では、夫から妻への愛が無条件に差し出されるものであるのと同じように、妻から夫への尊敬も無条件に差し出されるべきものなのだ…

 ずっと前に、何の話を書いた時だか忘れたが、このブログのコメントに、Tomokoさんが教会で夫婦関係について「Love and Respect」(by Dr. Emerson Eggerichs)という本を用いて学んでいます、と書いてくださったことがあった。その時、ぼぼるパパがコメントの返事に、「愛は無条件に与えられるものだけれど、リスペクトはearnしなくてはならない(尊敬に値することをしないと与えられない)」というようなことを書いていたのを思い出した。男性の側も、自分が妻に敬意を表してもらうためには、それなりのことをしていないといけないというプレッシャーを感じているのだろうか。今日のメッセージを聞き、そのコメントのことを思い出しながら、私は夫から無条件の愛をもらっているのに、夫に対しては「敬意をうけるに値するこをとしなければ、自分は妻から尊敬してもらえない」という思いを与えていたのかと思ったら、申し訳なくて涙が出た。

 もう一つ、男性というものは、実は外から見える以上にずっとinsecureな思い(不安や心細さ、自信のなさ)を抱えている、という話も印象深かった。それを口に出して認める男性は少ないかもしれないけれど、ションティの調査結果ではそのように出たらしい。ションティとパスターは声を揃えて言った。男性は、一家の長として、家族を養うものとして、経済的にも物質的にも感情的にも霊的にも、自分は家族のニーズを満たしているだろうか、なすべきことを行なっているだろうか、男性としての責任を果たせているのだろうか、そのような不安や自信のなさが、心の奥のどこかに常に潜んでいる。だからこそ、男性にとって、妻から尊敬されること、妻から認められることはとてもとても大切なのだ、と。妻が夫に愛されることなしにやっていけないように、夫も、妻に尊敬してもらうことなしにはやっていけないのだ。

 あと、セックスというと、女性にとっては精神的なものであるのに対し、男性にとっては身体的なものだとよく言われるけれど、実は必ずしもそうではなく、男性にとっても多分に精神的なものなのだとも語られた。妻にとって、セックスが夫との愛情とつながりを確認するものであるように、夫にとっては、それは妻からの敬意と信頼の確認なのだ、と。妻が自分を欲している、求めていると感じることが、男性にとっては大きな自信と平安を与えるのだそうだ。

 うーん、いろいろ考えてしまった。どうしてこう男性と女性は違うのか、と頭を抱えることも多いけれど、神様は夫婦がそれぞれの異なるニーズを互いに満たし合い、自分を捧げ合って共に生きていくようにとデザインされたのだなぁと痛感した。


ションティのサイトです。

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