いけにえとあわれみ(メモ)
ここしばらく、繰り返し思わされていること。
「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。」とは
どういう意味か、行って学んで来なさい。(マタイ9:13)
わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。
全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。 (ホセア6:6)
先日オバマ氏の話の時にチラッと話題にしたキリスト教右派がどうのとか、この前の夫に尊敬を示すことについてとか、いろんなことを通して、上記の御言葉が繰り返し胸に迫ってくる。
ホセアの御言葉からもわかることは、神様は確かに私たちに律法をお与えになったけれど、それは私たちから「いけにえ」を強要するためではなかったということ。強制された従順、形だけの従順は神様は願っておられないということ。律法やさまざまな戒め、主の命令の背後にある神様のお心は何なのか… それを知ることを求め、それを大切にする者になりたい。
祈らされている。主よ、あなたが、あわれみは好むがいけにえは好まない、とおっしゃるのはどういう意味なのか、教えてください。