ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

エミ、快挙!/NHS

 先日、エミの中間成績がガタガタだった話を書いた。エミの部屋のパソコンをネットから切ったのが功を奏したようで、まず第一に、早く寝るようになったようだ。勉強に集中して早く宿題も終えられるようになったし、勉強後もダラダラとネットサーフすることがなくなったからだろう。勉強中のインスタントメッセージ(チャットみたいなもの)を遮断したのは大正解だった。私が普段使っているファミリールームのパソコンを使ってネットにつなぐのは許しているので、エミが階下にいる時間も増え、その分親子の会話も増えた気がする。たいへん結構なことだ。
 今年のエミは、AP化学というのを履修している。APというのはAdvanced Placement の略で、高校でオファーされる大学の入門クラスレベルの授業のこと。(ウィキペディアの解説はこちら。)College Boardという機関が主催する年度末のAP試験(高校の期末試験とは別)で一定以上の成績を納めると、大学の単位として認められる。大学なら一学期でこなす内容を、一年かけて学ぶのでスピードはゆっくりめだが、中身は大学と同じ。
 エミは去年、高校レベルの化学を履修し余裕のA+だった。化学の先生に「来年は是非AP化学を取りなさい」と勧められ、それで今年はAP化学を取ったのだが、やはり大学レベルは難しかったようで、エミは年度の最初から苦労していた。各学期の中間も期末も、その間にあるたくさんの小テストでも、全然Aが取れず、先日発表された中間成績ではついにC+という有様だった。
 今週の初めにAP試験があったのだが、エミの化学の先生は、この2ヶ月くらいAP試験に備えるためのレビューセッションをずっと持っていた。特に最後の2週間は、毎日放課後にレビューセッションを開いてくださり、エミはそのほぼすべてに参加した。予備校並みの力の入れようで、先生の方もすごいコミットメントだったと思う。有り難いことだ。
 高校の期末試験は6月なのだが、AP化学の期末はAP試験の日程に合わせたらしく、先週の金曜日だった。
 夕べ、夜食を食べにキッチンに降りて来たエミが、お茶を入れながらいかにも気だるそうにこう言った。「そういえば、AP化学の期末試験が返ってきたんだけど、どうだったと思う?(Guess what I got?)」 ドキッとしながら「どうだったの?」と聞くと、彼女はニカッと笑って振り返り、両手を挙げて叫んだ。「Aマイナス!!!!」
 「キャー!! やった、やった!おめでとう!」私とぼぼるパパとエミの三人で、手を打ちならし、ピョンピョン飛び跳ねながらの大喝采。これまでAP化学では一度もAを取れていなかったのが、ついにやった。エミもよく頑張った。良かった良かった。残りの科目の期末試験まであと数週間だけど、これを励みに頑張って欲しい。
 
 また、夕べはオーナーソサエティ(NHS)の加入式があった。NHSには「Character(人格・品性)」「Leadership(リーダーシップ)」「Scholarship(学識)」「Service(奉仕)」の四本柱があり、各領域において高いスタンダードを掲げ、それに向かって努力することが求められる。夕べの式では、2年生と3年生の約100人くらいが新たにNHSのメンバーになった。今年度の会長、副会長、会計、書記を務める4人の生徒たちが、上記の4つについてのスピーチを聞かせてくれたが、とても立派なものだった。特に、キャラクターとリーダーシップに関するスピーチでは、コロンバイン高校で、「神を信じるのか」という問いに「はい」と答えたことで銃殺されたレイチェル・スコットに言及されていてちょっと驚いた。今年、レイチェルのお兄さんがエミたちの高校に来て講演をしたのだそうだ。それがこの町の高校生達の心にも深い感銘を与えたようだ。
 レイチェルは、生前の日記の中でこのように書いていたらしい。 「Don't let your character get camouflaged with your environment. Find who you are and let it stay in its true colors. 」自分が何を信じ、何に価値を置いているどういう人間なのかを十分に自覚し、それを状況によって変化させてはいけない、まわりに左右されてはいけない…。大人の私でもドキッとして唸らされるが、このような言葉が、偉い大人の口から出たのでなく、自分たちと同じ高校生によって語られ、しかもそれが彼女の生き方によって裏付けられているのを見ることで、アメリカの多くの高校生たちがインスパイアされているのは素晴らしいと思った。
 また、リーダーシップに関するスピーチでは、リーダーシップを持つとは、会長やプレジデントになるといった人の上に立つことだけを言うのでなく、むしろ自分の足で立ち、自ら物事を起こせるようになることだと思うと語られ、これにも唸らされた。先生によるスピーチではなく、高校生によるスピーチですよ。うーん、なんて頼もしい。
 「奉仕」に関しても、アメリカでは「コミュニティーサービス(地域社会への奉仕)」や「ボランティア」という概念が発達しているが、なるほど、このようにして若い頃から奉仕の精神を奨励するのだなと思った。
 そんなわけで、なかなか有意義な式典だった。

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