ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

選挙日の徒然

(プライベートモード中ですが、メモとして。)

 今日は大統領選挙の日。オバマ氏優勢が伝えられており、今夜シカゴのグラントパークには百万人以上の人が集まってオバマ氏の勝利を祝うと言われている。(一体どんな騒ぎになることだろう…)
 個人的には、実は私はマケイン氏のことは嫌いではなかった。サドルバックでのフォーラムや、クリスティアニティートゥデイに出ていた特集記事などから、マケイン氏が神の前に持っていると思しきhumility(謙遜)に心打たれるものを感じていた。彼は恐らく自分では自分のことをstrong Christianだとは思っていなくて、そのせいか信仰について大胆には語ろうとしていなかったけれど、それでもこの人はきっと一人静かに神の前には頭を垂れているに違いない… そんなことを思わされていた。
 一方、オバマ氏の信仰も私は疑わなかった。彼の聖書解釈に、時々保守派のクリスチャンが嫌悪感を示す様子を見聞きしていたけれど、私はむしろ、律法学者やパリサイ人の独善的な信仰を厳しく批判していたジーザスのことを思い出したりもして、新鮮なものを感じていた。二人ともクリスチャンとして、それぞれの歩みをしているのだと思った。私たちだって、それぞれに自分の信仰の歩みの中でいろんなところを通っているように、彼らだって神様の前の一人の人間として、それぞれの道のりを歩んでいるのは当然のこと。すべての有権者のクリスチャンの好みを満足させるなんて、できやしない。

 とにかく、幸か不幸か私には選挙権がない。先日、とりなしについて語られたことを覚えつつ、祈りの中で静かに一日を過ごそうと思う。主の御心がなるように。それから、歴史的な瞬間を生むことになるであろうこの日が、人間的な熱狂の渦の中に陥ることがなく、主の御手の中で、平穏で秩序だった一日となるように。

 今朝、エステル記を読み終えた。エステル記には、「神」という言葉は一度も出てこない。「神が〜と語られた」とか「神が〜をなさった」という記述は一切ない。しかし、神の見えざる御手がすべての出来事を指揮し、ご自分のご計画のために導いておられたことは、読者の目にはありありとわかる。
 私たちの人生においても、audibleな神の御声が聞こえることはないし、visibleな神の御手を見ることはない。それでも、この世界で起きている一つ一つの出来事、一見、何の関連もないかのように思えたり、ただの偶然のように見える事柄、そしてその時点では最悪の展開に見えるような事柄の背後にも、主の究極的なご支配があることを覚え、主を畏れつつ、敬虔に歩んでいきたい。

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