「ママ、どうしよう!」
「ママッ、ママッ! どうしよう! 大変なことになっちゃった!」
昨日、ケンスケが血相を変えて学校から帰ってきた。玄関で叫んでいるケンに、私がキッチンから「なあに? どうしたの?」と答えても、私の声が聞こえないのか、「ママッ! ママッ! どこっ?」と叫んでいる。
私が玄関まで出ていくと、ケンは自分のクツを指差しながら言った。
「ボク、体育のあと、間違えて体育館用のクツを普通のクツに履き替えるの忘れて、そのまま帰ってきちゃったよ!それで、泥の中に足を突っ込んじゃって、クツが汚れちゃったの! どうしよう、体育館用のクツには泥がついてたらいけないのに。友達にも、『あ〜らら〜』って言われちゃったの」
お、大げさな… それくらい、クツを洗えば済むことなのに。ケンは失敗してあせってたところに、友達にも「あ〜らら〜」って言われて、動揺しちゃったのね。
「大丈夫よ。ママがきれいに洗ってあげるから。心配しないで。ダイジョウブ!」
私がそう太鼓判を押すと、ケンは安心したようにニッコリ笑い、私にギュッとしがみついた。私もケンをしっかり抱きしめて、頭をなでながら「大丈夫、大丈夫…」と繰り返した。
失敗してパニックして私のところに一目散に駆けてきて、自分の問題を必死に訴えるケン。そして、大丈夫よと太鼓判を押され、すぐにニッコリ安心するケン。可愛いやら、いじらしいやら。
思えば、私も似たようなことをしょっちゅう神様に対してやっている。心配性の私は、しょっちゅう思い煩い、しょっちゅう心配し、しょっちゅうパニックする。何か困ったことがあると、神様のもとに猛突進し、「どうしましょう、神様〜、こんなことになっちゃって〜〜」あたふた、ガクガクブルブル、神様に状況を訴える。きっと神様も、プッと小さく笑って、「大げさな… それくらい、わたしにまかせておけば大丈夫だよ」と言われるのだろう。そして、神様の「大丈夫」に、私も安心すればいい。神様も「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と私を抱きしめ、心のたかぶりを落ち着かせてくださる。敵は私の失敗をあげつらって「あ〜らら〜」と言うかもしれないが、神様の腕の中にいる限りはもう安心。
実は夕べも、いくつか気がかりなことがあって、明け方の4時頃にも目が覚めて寝付けなくなり、神様にいろいろお話していた。そしたら神様は、昼間のケンとのやり取りを思い起こさせてくださり、大きな「ダイジョウブ印」をくださった。
今朝の私は、もう心配していない。問題云々以上に、いつもこうして、神様が私と共にいてくださることに、ただシアワセ。