ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

すべて時にかなって美しい

 あっという間に大晦日。日本はすでに新年になりましたね。日本の皆さま、明けましておめでとうございます。(^^)
 この一年も、このブログを訪問してくださってどうもありがとうございました。また皆様から多くのコメントをいただき、どれだけ励まされ教えられたことでしょうか。2009年も、ちょろちょろと続けていく所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

 
 このブログ(というか、その前身となる「ウェブ日記」)を始めてから、今年の5月で10周年を迎えた。始めた当初はなんと、エミは7歳、みん3歳、ま〜やは生後10ヶ月で、ケンはまだ生まれていなかった。 この日記は、家族の成長記録のようなものだったなぁ。昔の記事を読み返すと、いろんなことを思い出す。1年も早かったけど、こうして振り返ると10年間も何と早かったこと。基本的に私はマメな人ではないのだけれど、この日記だけは続けてこれて良かったと思う。家族の成長記録であると同時に、ものすごく大勢の方たちとの出会いの場でもあったし。
 10年間の総括はまた別の時にするとして(できれば)、とにかく、この1年は、私個人にとっては、「普通の」「いつもの」日々を過ごした一年だったかな。特別変わったことやスゴイことがあったわけではないけれど、毎日静かに、淡々と、やるべきことをやらせていただいたことの積み重ねの365日。その中で、積み重ねの結果としての5月のセントラルカンファレンスの開催があったり、9月の『ゲノムと聖書』の出版があったり。6月の東海岸への家族旅行は「普段」とは違うけれど、普段の生活があればこそ、こういう時間が一層楽しいものとなる。(この旅行では、たしんさんと出会い、かきごおり先生ご家族を訪問し、最後には高速道路で鹿にまでぶつかって、本当に思い出深いものとなった!)
 ぼぼるパパは、今年は仕事の面からはかなり充実していたらしい。6月のワークショップ開催、論文も数本出版し(だよね?)海外には2度行き、国内でも何度か出かけていた。
 子供たちはそれぞれ、高校シニア、高校1年生、6年生、2年生となり、みんな健康で充実した日々を送っていた。エミにとっては、後半かなりキツイ時もあったけれど、よく乗り越えてくれた。2009年にはいよいよエミが「成人」する(アメリカの「成人」は18歳から)のかと思うと、とても感慨深い。
 社会情勢的には、なかなか騒がしかった。原油の高騰と下落、金融危機、大統領選挙、イリノイ州知事の汚職・収賄疑惑… 今年はぼぼるパパとも、政治や経済の話など、いろいろ大人の会話をしたなぁ。(笑)
 この一年間も、荒れ狂う海のように不安定な社会情勢の中で、「いつもの」ことを淡々と続けてこれたのは、本当に感謝なことだったのだと思う。朝起きて、お弁当つくって、家族を送りだして、聖書を読んで、翻訳して、掃除洗濯、食事の支度、後片付け、買い物、子供たちの送り迎え、ボランティアワーク、家族や友人の話を聞いたり、私の話を聞いてもらったり、そして祈り、祈ってもらったり、共に泣き、共に笑い、共に喜び、共にがっかりし、時には怒ったり怯えたことも… 結婚式があり、お葬式があり、出産(友人の)があり…
 伝道者の書の3章1節から15節を思う。
 「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。 … 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。 私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。 今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。」
 何と言うパースペクティブだろう。2008年の最後の日を迎え、この御言葉の真実が、慰め、励ましとなって心に迫る。神のなさることはすべて時にかなって美しいことを知り、受け入れてこそ、ダビデと共に、このように告白できる。

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。 (詩篇23篇)

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