ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

憐れみ

 日曜日のお昼のこと。みんなで焼うどんを和気あいあいと食べていた。
 普段はわが家は炭酸飲料は禁止(?)で買わないのだが、ま〜やが学校の理科のプロジェクトで2リットルボトルが必要だというので、この日は珍しく台所に2リットルボトルのドクター・ペッパーがあった。
 焼きうどんを食べ終わった後、ケンがドクター・ペッパーを飲んでいいかと聞くので、いいよと答えた。
 ケンは未開封の2リットルボトルを重そうに持って来て、テーブルの上にドンと置いた。そして「ママ、あけて」というので、私があけた。
 ところが、キャップをねじった瞬間、ものすごい勢いでこげ茶色のベタベタした液体が噴出。ケンは笑い出したが、私は笑うどころではない。
 「ケン! ボトルを振ったの? 振ったりしたらだめじゃない! 笑い事じゃないわよ! お母さんはこういういたずらは大嫌いなんですからね。二度としないでちょうだい! もうドクター・ペッパーはなしです!!」 
 私がこんなに激したのにも実はわけがある。キッチンテーブルの下に敷いてあったラグは、なんと二日前に新調したばかりだったのだ! あわてて拭き取るも、おニュー(死語?)のラグは無惨にシミだらけになってしまった。
 「僕、振ってないよ…」半べそで訴えるケン。みんも「私が見ていた限りでは、ケンは別に振ってなかったと思うよ」。「ドクタペッパーって、炭酸飲料の中でも特に炭酸が強いんだよね。ケンが悪かったわけじゃないと思う」とエミ。
 つい苛立って感情的になってしまい、分が悪い私。苛立ちを必死に抑えつつ、「じゃあ、わざとやったわけじゃないようだし、赦してあげる」とかろうじてケンに言う。
 エミとみんとま〜やは、さっそくパソコンに向かい、インターネットでカーペットの染み抜きについて調べ始める。
 「ぬるま湯で割ったお酢がいいんだって」「ベーキングソーダもいいんだって」 ぼぼるパパも立ち上がり、お酢のお湯割りを作り、ペーパータオルでポンポンとカーペットを叩き始めた。私もぼぼるパパと一緒に作業した。
 応急処置が終わって一段落し、娘たちが二階の自分の部屋に戻ったあと、ひとり何かを考えていたらしきケンが、私にポツリと言った。
 「今日ね、僕、教会で『憐れみ』について習ったの」
 「あら、そうなの? なんて習ったの?」
 「『憐れみ』っていうのは、『赦し』と似てるんだけど、『赦し』はI forgive you って言うだけで、『憐れみ』は、I forgive you って言ったら、罰はもう与えないんだって」
 「ふ〜ん。じゃあ、さっきの状況で、ママがケンスケに憐れみを示したいと思ったら、どうすればいいのかな?」
 「I forgive youって言って、それからドクター・ペッパーもくれるの」
 「そうか、なるほど… じゃあ、ママはケンスケに憐れみを示したいから、ドクター・ペッパーはなし!と言ったのは取り下げるね」
 ケンは、神妙な表情でうなずき、小さく「ありがとう」と言った。

 神様ってば、このタイミングは一体… と思いつつ、早速娘たちにもこれをシェアしたくて、私は二階に上がって行った。
 「ねぇねぇ、ケンね、今日、教会で『憐れみ』について学んだんだって!」
 「へえ〜」(3人とも、特に興味を示さない)
 「それでね、憐れみについて何を学んだの?って聞いたら、これこれしかじかって言って、じゃあ、ママがケンに憐れみを示すためにはどうすればいい?って聞いたら、これこれしかじかって言うのよ!」
 「それで? ママ、どうしたの?」(身を乗り出す娘たち)
 「もちろんドクターペッパー、あげたわよ! お母さんだって、mercifulでありたいもの!」私がそう言うと、娘たちは立ち上がり、「I love you, Mommy!」と嬉しそうにハグしてくれた。

 何と言うか、クリスチャンホームって、家族であると同時に、主にある一つの共同体なんだなぁとしみじみと思った。親として、私には子供たちを教え、しつける責任がある。しかしそれだけでなく、主にある兄弟姉妹同士として、子供も含む家族の間で、互いにアカウンタブルでもあるのだ。特に子供たちが成長してそれぞれに主の教えや主のご性質を学び、理解するようになるにつれ、その要素は強くなるように感じる。子供は、親としての私だけでなく、主の前の一人の人間としての私のことも見ている。もちろんそれは、裁き目線ではなくて、私が主の前にへりくだって教えられやすい心(teachable heart)をもって主の語りかけに応答するならば、一緒にそのことを喜んでもくれるのだ。

 それにしても、ロバを通しても語ることのできる主は、7歳児の口を通して語ることなどお茶の子さいさいなのですね。参りました。でも、感謝です。

付記:
公正(Justice)とは、人が受けるに値するものを受けること。
憐れみ(Mercy)とは、受けてしかるべきもの(罰や裁きなど)を受けないで済むこと。
恵み(Grace)とは、受けるに値しない恩恵をいただくこと。

神様は、公正と憐れみと恵みを私たちに施すべく、イエス様を私たちの罪の身代わりとして十字架にかけ、私たちが神の御怒りを受けずに済むようにしてくださり、しかもさらに、私たちを神の子どもとし、永遠のいのちを与えてくださった…

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)