ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

昨日のこと、ちょっと。

 昨日の婦人バイスタは、私の個人的な祈りの体験談について分かち合ってくださいというものだった。そこで、普段ブログにも書いているようなことも含めて、いろいろ分かち合わせていただいた。

 今やっている翻訳(Renovation of the Heart)の中で、「土の器と宝」(第二コリント4:7)に関する素晴らしい考察がでてきて、いろいろ日常の信仰生活にも当てはめて考えさせられている。

 「祈り」「祈りの生活」についても、一日のうちに祈る時間を取り分けておこうとか、一人きりになる時間を取ろうとか、こういうこと(「讃美」「感謝」「罪の告白」「とりなし」「願い」など)を祈ろうとか、そういった側面から語られることも多いかなと思う。しかしそれらのことは、いわば「器」であって、それ自体が祈りの本質というわけではないだろうと思った。しかしながら、器と宝の関係が必然的に意味するところは、大切なのは中に入れる宝であるが、器なしには宝を持つこともできない、といういわばパラドックスでもある。祈りもしかりで、いつ、どこで、何を、どう祈るか、といった側面も、やはり避けては通れない。それがなければ祈りは実現しない。ところが、それだけに終始してしまうなら、祈りが私たちにもたらしうる本当の喜び、本当の力、本当の意義を、なかなか体験できなくなってしまうのでは、とも思う。
 そんなわけで昨日は、祈りの「器と宝」の両方を念頭に置きつつ(そういう言葉は使わなかったけれど)、お分ちさせていただいたのだけれど、伝わったかな〜。

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