ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

ウィラードの新刊完成!

 クレオパさんのブログで告知されていました。ウィラードの新刊がついに刷り上がってきたそうです。都内なら、明日かあさってには書店に並ぶだろうとのことです。関係者の皆様には、心から感謝申し上げます。
 そして何よりも、本書の翻訳出版を最初からずっと導いてくださった、主に心から感謝いたします!

 本書の中心テーマは、「キリスト者の霊的形成(Spiritual Formation)」です。一般的にわかりやすい言葉で言うならば、「人格形成」とも言えますが、人間は根本において霊的な存在であるということ、またこの形成は、霊なる神によって導かれるものだという意味で、著者は「霊的形成」と呼んでいます。
 今私たちが持つ自分の「人格」「人となり」は、生育過程の中で徐々に形成されてきたものだと著者は言います。クリスチャンであるなしにかかわらず、すべての人の霊は、何らかの霊の形成を通って現在のものになりました。しかし、多くの人の場合、神を知らないところで、神抜きで形成されてきました。ですからそれは、今や神の主導のもとで、「再形成」される必要があります。パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)と言いましたが、この「心の一新によって自分を変える」プロセスが、「霊的形成」であり、「心の刷新」です。それは、上からの神の恵みと内なる聖霊の助け、各人の意志的な関わりとキリスト者の共同体における取り組みといった、さまざまな要素が相互に作用しつつキリスト者の生涯を通して続く聖化のプロセスです。
 私はかつて、このローマ書の箇所の「心の一新」とは、「変わるぞ」と決意し、「えいやっ」とかけ声一つで、一晩で心をガラリと変えよとか、そういう意味だと思っていました。そして、そんなことできないよ…、と葛藤し、泣き言を言い、正直言って、この御言葉は私の苦手な箇所でもありました。しかしダラス・ウィラードは、本書で、また別の著作で、「霊的形成」とは時間のかかるプロセスであり、決して急いてはいけないものだと述べています。ちょうど昨日聴いていたナンシー・オートバーグのメッセージでも、ナンシーと夫のジョンがカリフォルニアからシカゴに引っ越すにあたり(この二人はウィロークリーク教会の教育牧師でした)、ダラス・ウィラードがはなむけの言葉としてくれたのが、「You must ruthlessly eliminate hurry(何が何でも、あわててはいけない、あせってはいけない)」だったと語っていました。霊的な成長とは、「効率の良さ」によって測られるものではなく、時間のかかるもの、かかるべきものなのです。野菜や果物でも、人工的に熟れるのを早めたものは、時間をかけて自然に熟したものに比べ、味が落ちるのではないでしょうか。
 とは言え、霊的形成(実際には、霊的「再」形成)のプロセスにおいて、私たちは受け身になって成り行きにまかせるままであってもいけないとウィラードは言います。このプロセスを導き、進めてくださるのは神様ですが、私たちの側も、主が私たちの人生の中でなさっておられることに、自ら積極的に参画していかなくてはならないのです。そのために必要なステップを、一つ一つ丁寧に説明しているのが本書です。

 本書ができあがるまでは、翻訳者としてこの原稿に取り組んできましたが、ついに出来上がった今、一読者として、あらためてじっくり読み返したいと思っています。楽しみです。主に感謝します。ただ主の御名だけが讃えられますように!!
 
追記:あめんどうさんのウェブサイトからも注文できます。

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