Take hold of the life that is truly life
夕べ、シカゴ時間の夜中12時過ぎに、エミから電話。エミの時間では午前1時近くだ。
私はすでに寝ていたので、最初は「眠いのに〜」と思いつつベッドに横たわったまま受話器を持って話を聞いていたが、そのうち起き上がって、心の中で祈りつつ耳を傾けた。
それでも、小一時間くらいしたところで、「もう遅いから今夜は寝なさい、いつでも電話してきていいから、お母さんはいつでもここにいるから」と電話を切った。多分、悶々として眠れなくて電話してきたのだろうけれど、寝ないとますます疲れて混乱してしまうだろうから…
混乱して堂々巡りの思考の中にも、ところどころ、しっかりしたものが垣間見られて、ちょっと安心だった。今はまだ細くて弱い筋肉のようなものだけれど、こういったことを通して鍛えられ、やがて太く強い筋肉になり、それが全体を支えていくようになるのだろう。
エミだけでなく、みんも近頃、またいろいろ悩み葛藤している。人間関係だったり、自分の生活習慣のことだったり、もちろん内面的なことも、いろいろ…
ああ、主が彼女たちと共におられ、助け、導いてくださいますように。彼女たちの中に、主をますます求め頼ろうとする願いが与えられますように。
また、私の子供たちだけでなく、その友人たちも、主を知り、主の道を見いだし、主の愛の中で健やかに、逞しく、優しい心を培いつつ育っていきますように。
葛藤する青年たちを見ているのはどうしてもつらいけれど、同時にある種の清々しさのようなものも感じる。今はいろいろあるけど、主の御手が確かに導いておられると信じられるから。第一テモテ6:19の御言葉を思い出す。まことのいのちをしっかりと自分のものにするために、来るべき日に備えて確固たる基礎を築く… 今まさに、彼らがその時期にあることを思う。
In this way they will lay up treasure for themselves as a firm foundation for the coming age, so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE. (1 Timothy 6:19)