再掲:The Nativity Storyより
2006年12月30日の当ブログの記事の再掲:
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ベツレヘムに旅する途中のマリヤとヨセフ。どこかの湖の岸辺だろうか、たき火の前に座って魚を焼いている。
マリヤ「あなたが見た夢、どんな夢だったかまだ話してくれてなかったわね」
ヨセフ「夢? (はずかしそうに首を横にふる)」
マリヤ「お願い! 話して」
ヨセフ「…御使いが現われてね、君のお腹の中にいる子供は、聖霊によってみごもったものだから、恐れることはないって言われたんだよ」
マリヤ「恐い?」
ヨセフ「(フッと笑って)…恐いよ。君は?」
マリヤ「私も」(二人で微笑みあう)
御使いが夢にまで現われて「恐れることはない」と言われても、それでも「恐い」と認めるヨセフとマリヤ。しかもこんな深遠な会話を、魚を焼きながら、食べながらしている。いわゆる「聖母マリヤ」ではなく、生身の人間が神の言葉を信じてそれについて行こうとしている姿が、とても印象的だった。そして、マリヤの「神の御子をみごもる」というこの体験と、私の日々の体験はあまりにも違うものだけれど、それでも私の信仰の歩み(=日常の歩み)を彼女のそれと重ねることができるような気がした。 私も、こんな私だけど、それでも神の言葉を信じてそれについて行くことができるのだと。