『手紙』
先週、感謝祭の準備で忙しい最中、東野圭吾さんの『手紙』を一気読みした。彼の作品を読むのはまだこれが3冊めで、一冊目は『白夜行』、次は『片想い』、そして今回の『手紙』。それぞれに異なるタイプの作品だけれど、どれも一度読み出したら止まらなかった。
主人公は、兄が強盗殺人で服役中。両親もおらず、独りぼっちになってなんとか働きつつ高校を卒業、苦労の末、大学生になり、やがて就職もする。努力に努力を重ね、なんとか人生を切り拓いていこうとするものの、扉が開かれそうになるたびに、兄が強盗殺人犯であることが災いして道が閉ざされる。同じ天涯孤独の身でも、別の理由で一人であるなら周囲も協力してくれるのだろうが、兄が強盗殺人犯で服役中となると、だれも近寄ろうとはしない。頑張ってねと気持ちでは応援してくれも、実際に手は差し伸べてくれない。
一口に「苦しみ」と言っても、人から同情され助けてもらえる苦しみと、本人のせいではなくても、人から忌み嫌われ疎まれる苦しみがあるのだろうか。隣人愛の理想と現実というか… 気の毒だとは思うけど、頑張ってほしいとは思うけど、でも自分は関わりたくない、という根強い感覚は、たぶん誰の中にもあるものなのだろう… 世の中にある差別、しかも露骨な差別ではなく、「ふつうの感覚」として社会にしみついている差別、そういうものの存在に気づかされる。
私たちと徹底的に関わるために、神でありながら人となってこの世に来てくださったイエス様は、私たちを救うために、ご自身が人から忌み嫌われ疎まれる苦しみを通ってくださった。こんな愛が、ほかにどこにあるだろう… そんなことも、思わされた。