MEMO: The King Jesus Gospel
最近、私はある調査のレポートを読みました。 それによると聖書に忠実なキリスト者家庭の子供たちの90%が 彼らの心にキリストを[救い主として]受け入れる決断をするということでした。 私たちのほとんどは、そのような数字を期待するのでしょう。
その90%のうち、35歳になっても、イエスに従い続けているのは、 わずか22%のみだというのです。 私たちのほとんどが、その数字にショックを受けるのではないでしょうか。 私もそうでした。
お考えになってみて下さい。 私たちは、キリストに従うと決心した人の3分の2以上を失い続けているのです。 何かがおかしいのです。どこかがものすごくおかしいのです。 おかしいのは、私たちが語っている「福音」です。
おかしいのは、私たちが使っている若い人たちに対して、 彼らのキリストに従う決意のうちにとどまるように説得する方法ではないでしょうか。 「福音」は、決意をする方法であることにこだわりすぎてないでしょうか。
「福音」は弟子であるということや、 イエスの「福音」、 そのためにためにデザインされたボートではないでしょうか。
私の見るところによれば、 今日の教会で機能している『いわゆる「福音」』は 教会を破壊しており、 「救われた人たちの社交クラブ」にさせているのであり、 本来のイエスの十字架にまで従う人々の社会を作ることに 失敗している、と思います。
この問題の解決のためには、ある牧師たちは、 もっと罪を強調すべきだといいますし、 別の牧師たちは、神の怒りや永遠に続く地獄の炎の激しさについて 語ることを もっと増やすべきだといいます。 ほかの牧師たちは、 すべてのことを恵みと信仰における義認であるということに もう一度焦点を置くべきだというでしょう。
しかし、これらは本当の問題解決になるのでしょうか。 いくら、弱い福音をいじってみたところで、弱い福音にしか過ぎません。 なぜこうなるか、ですが、 私たちが『福音』と思っているものは、 オリジナルの『福音』そのものではないからです。 ですから、 私たちは一からやり直さないと、いけません。オリジナルの『福音』とはどのようなものだったんでしょうか。あるいは、使徒的『福音』とはどのようなものだったのでしょうか。 もっと言うと、 イエスが語った『福音』とはどのようなものだったのでしょうか。
私たちは、聖書が語っていることを聖書に語ってもらうべきではないでしょうか。私たちが、聖書に語らせたいことを聖書に無理やり語らせるのではなく。
おそらく、 多くの聖書に忠実であろうとする若いキリスト者が 今日、教会から離れていく理由の一つは、 これらの多くの若者が教会で聞いている『福音』が、 イエスが語った『福音』ではなく、 彼らはイエス自身を『福音』として求めているのです。だからこそ、『聖書』に戻りましょう。ご一緒に。
そして、イエスや、ペテロやパウロが『福音』というとき、なんといっているかをよく見てみましょう。私たちは、非常に大きな転換をしなければならないことに気づくはずです。私たちが再発見しなければならないのは、
もともとの幸福をもたらすニュース、
それを、王なるイエスの福音と私は呼びたいと思います。
(翻訳byかわむかいさん)
The King Jesus Gospel: The Original Good News Revisited
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この十年くらい、特に過去4〜5年、あちこちを突き崩しつつ、bits and piecesで集まってきたパーツの数々が、どう組み合わされるのかここにきてようやく青写真が見えてきたような… でも、まだ先は長そうだけど。