ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

J・パイパー「進化を受け入れますか?」

 John Piper - Do you accept evolution or an old earth view?

 「進化論や、地球の年齢は古いという考えを受け入れますか?」という質問に対するジョン・パイパーの答え。
 イエス、ノーで即答するのは避け、注意深く答えている。曰く、彼が思うには、聖書的に可能と思える考えは二つあって、ひとつはヤングアース(地球の年齢は一万年以下と考える)で、創世記1章の記事は、文字どおり一日二四時間と受け取るのが自然な読み方なように思えること、二つめの考えは、ジョン・セイルハマーという人の、「創世記1章1、2節に記述されている創造は、何兆年も前になされたことかもしれず、1章のそれぞれの日で起こっているのは、無からの創造ではなく、すでに創造されているものに、秩序を与えること」という考えで、これは1日二四時間という解釈を保持しつつ、地球の年齢は古いことを支持する。私はそちらを受け入れる方に傾いている、と。
 この二つめの考えは、先日も紹介したウォルトン博士のものと基本的に同じではないですか。ウォルトン博士も、創世記1章の各日は、二四時間だと思うと言っていた。(というのも、神様が最初に確立された秩序のひとつが、時間の秩序だから。)
 パイパーは続けて、言葉を選びつつ、進化によってアダムが人間としてこの世に登場したという考えは受け入れない、と言った。
 このパイパーの返答に、私はとても好感を持った。キリスト者、牧師として、自分の分をわきまえた返答というか。生物学的進化の是非は牧師という立場で下す評価ではなく(もちろん、個人的に受け入れる、受け入れないはあるだろうけれど)、創世記1章の釈義という観点から答えるなら、このような答え方(つまり、進化の是非には直接言及せず、神学的にどういう解釈の可能性があるのかということにフォーカスする)になるのが妥当だと思う。また、「進化によってアダムが人間としてこの世に登場したという考えは受け入れない」という言い方も、アダムの問題は、進化を受け入れている牧師・神学者たちの間でもさまざまな考えがあり、「私はこのように考える」と言うこと自体は、科学を軽視するわけでもなく、キリスト者として真摯な返答だと思う。
 パイパーも、おそらく以前は若い地球論を受け入れていたはずだろうと想像するが、近年のさまざまな議論ーー科学の分野でも、神学の分野でもーーを考慮して、このような考えに至ったのではないかしら。
 この動画を紹介していた人(アナバプテストのアメリカ人)は、パイパーは進化を受け入れていない!とややあざけるような口調で語っていたけれど、私はそうは思わなかった。彼が受け入れる方に傾いているという考えは、地上で進化が起こったかもしれないと考える余地を十分残しているし(何兆年も前に…というのは言い過ぎかと思うけど 苦笑)、とても誠実で賢明な返答の仕方だと思った。さすが!

追記:ビデオの中でパイパーが言及していたジョン・セイルハマーの"Genesis Unbound"という本を調べてみました。1996年の発行で、もう絶版みたい。副題は、「A Provocative New Look at the Creation Account」。10件のレビューがついていて、評価はかなり高い。(2011年にDawson Mediaから第二版が出版になったようです。)

Genesis Unbound: A Proactive New Look at the Creation Account

Genesis Unbound: A Proactive New Look at the Creation Account

追々記: Genesis Unboundのレビューを見つけた。こちら。ウォルトン博士の本もそうだったけれど、この本も、科学と信仰の整合性の話をするのが主旨はでなく、純粋に、創世記1章のテキストを見たときにどのように解釈するのがもっとも適切か、という観点からの議論らしい。このレビューを見ると、細かい点はウォルトン博士の説とは違うようだけれど、いずれにせよ、創世記1章のオリジナルテキストを適切に解釈するなら、現代科学と矛盾することはほとんどないはず、というスタンスは同じ。

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