ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

デイブ・ドラベッキー

 今日は、うちの教会にデイブ・ドラベッキー(Dave Dravecky)という1980年代にSDパドレスやSFジャイアンツで活躍した元投手が来た。彼は1988年に利き腕が癌になり、一回めの手術後、奇跡がなければ復帰は不可能と医師に言われながらも、翌年復帰してチームを勝利に導いた。ところがその5日後、試合中、球を投げた瞬間に利き腕を骨折、マウンドに倒れた。そのままプロ野球を引退し、何度か手術を受けたが、結局、左肩から切断。その後、夫婦で鬱になり…
 彼の証はとてもリアルだった。証というのは、めでたしめでたしで終わる美しい話のことではないなぁと、最近つくづく思う。いや、もちろん、すごいんです。神様、すごいです。ただ、私たちが思うすごさを超越しているというか… うまく言葉にまとめられないので、今日はこれで。(多分あとで加筆します。)
 検索したら、デイブ・ドラベッキーに関する日本語のブログが見つかったので、リンクします。

 それから、英語ですが彼の動画もありました。

追記:加筆しようと思ったのですが、「いのちのことば誌」用の原稿に、ドラベッキーのことを書いてしまったので、ブログではここまでに…

コメント欄にも書いたのですが、ドラベッキー夫妻は、うつになったとき、ジョン・タウンゼント博士のもとで1年半にわたってカウンセリングを受けたのだそうです。タウンゼント博士に大いに助けられたと言っていました。

また、ご夫妻の現在のミニストリーをリンクします。

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いのちのことば誌に掲載したドラベッキーに関する文章を、ここにも転載します。

先日教会に、デイブ・ドラベッキーという一九八〇年代に米大リーグのサンディエゴ・パドレスサンフランシスコ・ジャイアンツで活躍した元投手が来た。
彼はプロ野球選手としてのキャリアが最高潮にあった一九八八年、利き腕である左腕ががんに冒された。三角筋の半分を除去し、奇蹟が起こらないかぎり再びボールを投げることは不可能と医師に言われながらも、翌年復帰してチームを勝利に導いた。その勝利戦のあと、数百人の記者団を前に会見。ドラベッキーは何よりもまず、自分の復帰は神の奇蹟の業以外の何ものでもないことを宣言し、公然と主を誉めたたえた。
ところがその五日後、復帰後第二戦目の試合中に思いがけないことが起こった。六回裏、球を投げた瞬間に、彼の左腕が折れたのだ。骨折の音はスタンドまで聞こえたという。ドラベッキーは衆人環視の中、マウンドに倒れこんだ。奇蹟の復帰を遂げたと思ったのもつかの間、がんの再発によってそのまま引退になった。数度にわたる手術と放射線治療を試みたものの、彼の腕はもはやどうにもならないところまで病が進行しており、結局左肩からの切断となった。
引退会見に集まった記者たちは、最初はみな沈黙していた。しかし、ついに一人の記者が沈黙を破った。
「それで、デイブ、あなたの神はどこへ行ったのですか?」
ドラベッキーは、自分の胸を指してこう答えた。「私の神は、どこへも行っていません。今もここにおられます」彼は内心、「その質問をしてくれてありがとう!」と思ったのだそうだ。そして、彼の神への信頼は揺らいでいないことを、はっきりと語った。翌日のサンフランシスコの新聞の一面にはその会見が大々的に取り上げられ、そこではドラベッキーがヨブになぞらえられていた。

*    *    *

しかしながら、彼の戦いは引退してからが本番だった。投手だった彼が失ったのは腕だけでなく、アイデンティティーも失われた。妻に対してことばの暴力をふるうようになり、夫婦仲は悪化の一途をたどった。そして、答えの見つからない問い、出口の見えないトンネルの中で、夫婦そろってうつになった。
絶望の中で身動きが取れなくなっていたとき、二人は知人の紹介でジョン・タウンゼント博士(『境界線』〔地引網出版〕の共著者である臨床心理学者)のもとでカウンセリングを受けるようになった。一年半にわたるカウンセリングと抗うつ剤の投与、そして周囲の人たちの熱い祈りと支援によって、二人は徐々に立ち直っていった。うつになってから五年以上が経っていた。
今、ドラベッキー夫妻は、様々な苦しみの中にある人たちを励まし支えるための非営利団体「エンデュアランス」(http://www.endurance.org/)を設立し、支援グループを運営している人たちの支援や、資料の提供、そして全国で講演活動などをしている。
……と書くと、いかにも「めでたし、めでたし」だが、ここに至るまでの痛みや苦しみはどれほどだったろうかと思うと、想像するだけで身が震える。
特に、 神の癒しの御業を公に誉めたたえ、すべてのご栄光を主に帰した直後のがんの再発。ドラベッキーはどんな思いだったことか。いっそ、最初に発病した時点で、そのまま引退になっていたほうがましだったとは思わなかっただろうか。堂々と主を証しした直後に、まるでサタンがあざけるかのように、皆の見ている前でその「証」が引き抜かれ、打ち砕かれたのだから。
しかし、神のご計画は肉体の癒しよりも、キャリア復帰よりも大きかった。良い働きをしているキリスト者のスポーツ選手が大勢いる中で、なぜ神はドラベッキーをこのような形で用いることにしたのか。私にはわからない。ただ、私は最近よく思うのだ。一般に考えられている「理想像」とかいうものは、私たちの願望を反映しているに過ぎないのだろうと。神に召された生き方とは、傍目から見ていかにも「理想的」な人生だとは限らない。ホセアは姦淫の女を妻にした。エゼキエルの妻は一撃で取り去られた。彼らは預言者だから別格かもしれないが、それでも、人の目にはいかにも悲惨な人生であっても、悲惨な人生だからこそ、私たちが主とともにそれを生き抜くとき、そこに現される主のご栄光と御業があるのだと思う。
ドラベッキーがアイデンティティー喪失と夫婦関係の危機とうつの中にあったとき、それはどう見ても美しい光景ではなかっただろう。でも、ドラベッキー自身が証ししたように、主は彼らとともにおられた。「私の神は、どこへも行っていません。今もここにおられます」

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