ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

「鍛!」

 この一年を振り返り、あっと言う間だったようでありながら、やはりいろんなことがあった。いつも「あっと言う間」とばかり言ってないで、来年は一日一日をもっと大切にしたいと思う。一年という期間はやはりそれなりに長く、いろんなことが起こるし、いろんなことができるし、それを通して成長できるかどうかは、自分次第なのだものね。
 3月の大震災・津波は、恐らく世界中の日本人の何かを変えたのではないかと思う。自然災害による被害だけでなく、それによって日本社会の構造のひずみもあらわにされた。3.11のインパクトはあまりに大きく、重く、軽々しく口にはできない。ただ、それを通して与えられた新しい出会いの数々もあり、それを大切にしながら、日本人として、人間として、自分にできること、なすべきことを考え続け、行動し続けなくてはと思わされる。

 昨年はいろいろ厳しいことがあった中で、最後にはクリスマスに「Divine Detour、聖なる(神による)回り道」というメッセージが語られ、自分にとっては想定外、回り道にように思えることでも、そこに主が働いておられるということに信頼し、ついていくことについて教えら れた。
 今年は、昨年起こったことの余波の中で、まだ自分の足でしっかり立っているというよりは、どこか流されているような、ゆるやかな流れるプールの中にいるような、完全にコントロールを失うわけではないけれど、「おっとっと」と言いながらよろよろ進むような、そんな感じだったような気がする。
 「流れ」には、主にある人の内側から流れ出す御霊による「生ける水の川」(ヨハネ7:38)と、不信仰ゆえにさまざまな煩いごとがもたらす流れ(ヤコブ1:4)の二種類があるように思う。そして、前者の流れに乗りたいと願いつつ、後者の流れに押されてしまうことが少なからずあったと思う。
 そして、前者の流れに乗るためには、自分の意志の力や頑張りによって「try harder」するのでなく、御言葉と御霊の導き、そして主にある賢明な兄弟姉妹たちの助けを得つつ、適切に「train」されることの必要を、切実に覚えるようになった。そう心底思えるようになったのは、ダラス・ウィラードの影響が大きい。(たとえば、どんなにtry harderしても、がむしゃらに頑張るだけでは私には10キロマラソンは走れないだろうけれど、時間をかけて適切に訓練すれば、走れるようになるだろう、というような。)
 『心の刷新を求めて』を翻訳出版した時点では、その内容に感銘を受けたものの、「霊的修練」といったことには、あまり強い関心がなかった。そもそも私は、「訓練」と名のつくものは好きじゃないという、ヘタレなもので…(汗)しかし、ヘブル12:11にあるように、「すべての懲らしめ(discipline)は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ということを、何度も思わされるようになり、「懲らしめ」が当座にもたらす痛みよりも、そのあとにもたらされる「平安な義の実」への強い願いが与えられるようになった。ほかにも、聖書には「訓練」の大切さが何度も語られている。
 ちなみに「懲らしめ」というと、悪いことをしたときに与えられる罰のようなイメージで、ヘブル12:11も、その大切さは分かるけど、何となく抵抗があって好きじゃなかった。でも、この言葉の原語の意味は、「the whole training and education of children」「whatever in adults also cultivates the soul, esp. by correcting mistakes and curbing passions」ということらしい。厳しい言葉であるには間違いないけれど、これを避けていては成長できない。
 霊的な取り扱いにおいて、「悔い改め」や「癒し」「解放」といったことはよく言われる。でも、いくら悔い改めても、癒されても、解放されても、そこでストップしていては、モグラたたきのようにまた別の問題が湧き上がってくるばかりで、いつまで経ってもきりがない。罪を悔い改め、過去の傷が癒され、囚われから解放されたなら、次は「訓練」だ。(そして、この「訓練」について考えるのにとても役立ったのが、ジョン・オートバーグの「The Life You've Always Wanted」と「The Me I Want To Be」。この二冊は、ダラス・ウィラードの霊的形成に関する著作を分かりやすく噛み砕いたもので、いつかぜひ翻訳したいです。)
 そして、訓練につきものなのは、先日も言及した「忍耐(endurance)」(ヤコブ1:2−4とか、ローマ5:3、4)。訓練に耐え忍びつつ、「平安な義の実」を結ぶ者へと成長させられたい。変えられたい。

 そんなわけで、来年の私の一文字は「鍛」にしようかな。



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