ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

今度は伯母が

 今朝、母から電話があり、びっくりするような知らせが入った。
 母のすぐ上の姉(私の伯母が)、日本時間の昨日の早朝、心筋梗塞で亡くなったそうだ。
 母は、私が帰ったあと、「心筋梗塞で入院してたのよ〜、はちこがアメリカから来て、毎日病院で付き添ってくれて楽しい入院生活だったわ〜」と言おうと思って(母談)姉の携帯に電話したのに、姉が出ない。そこで、姉が現在ステイしている姪の家に電話をしたら、姪が泣きながらでて、訃報を伝えてくれたらしい。
 この伯母は、1年くらい前だったか脳梗塞をやり、つい最近は腎臓ガンで手術したばかりだった(母は、手術のことは知らなかったそうだ)。伯母は、亡くなった日は、そのほんの2時間前まで家族で談笑していたという。ひとりぼっちでの死ではなく、愛する家族に囲まれての最期だったのが、せめてもの慰めだろうか…

 母の心筋梗塞は、肩こりのような前兆が数日前からあり、肩もみさんに行ったりしてだましだまし様子を見ていたものの、肩から背中にかけて痛みが激しくなったので、これはもしや?と思って自分で救急車を呼んだ。救急隊員がすぐにマンションまで駆けつけたものの、痛みで力が入らず、マンションの中に入ってもらうためのドアの解錠に手間取ったらしい。もし救急車を呼んだあと、そのまま倒れて意識不明にでもなっていたら、と思ったらぞっとした。せっかく呼んでも中に入ってもらえなかったら意味がない。
 救急車で運ばれながら、胸は痛いし頭は痛いし、寒気がして苦しいしで、母はこのまま死ぬのかと思ったそうだ。でもその時にはもう病院に着いて、看護士さんたちやドクターが処置を始めてくれたので、「もう病院にいるんだから大丈夫」と心の中で自分に言い聞かせていたと言う。そして、苦しくて仕方がなかったのが、ある時点でフッと楽になったのだそうだ。きっと、それがバルーンで血管を広げ、ステントを挿入したときだったのだろう。
 処置がうまくいった後は、母はケロッとしていたので、後遺症もないし、心筋梗塞って案外楽なものなのね、なんて思ってしまったけど、その直後に伯母が心筋梗塞で亡くなり、とても厳粛な思いだ。何かあったからといって毎回すぐに飛んで行けるとは限らないし、今回は行くことができて本当によかったと思う。
 そして、「おばあちゃんが倒れた!」と言ったら、何の躊躇もなく「すぐに日本に帰りなさい」と言ってくれたぼぼるパパにも感謝。今学期は忙しいのは分かっていたから、それは無理でしょうと思ったのに、パパは「俺たちは何とでもなるから、すぐに帰りなさい」と。1週間くらいなら何の心配もなく家を開けることができるのは、一重にぼぼるパパと子どもたちのおかげ。心から感謝しています。(しかも、私が帰宅した日には、パパの得意料理、牛タンのシチューで迎えてくれたし!)

 それにしても、暮れにはこちらでの知人(高齢のクリスチャン)二人が続けざまに亡くなり、大晦日には映画「おくりびと」を観たりして、改めてキリスト者としての死生観に思いを巡らせたりしている。
 NTライトのSurprised by Hopeによると、「クリスチャンは死んだら天国に行く」というのは間違いで(正しくは、「パラダイス」に行く)、クリスチャンの間にも非聖書的な死生観が蔓延しているらしいことなどが書かれていて、初めて読んだとき、かなり動揺した。(あまりに動揺して、それをブログに書くことさえ恐れた。)クリスチャンの本当の希望は「死後に(どこか別の場所にある)天国に行くこと」ではなく、肉体のよみがえりであり、王なるキリストによる被造物の贖い(新天新地)と統治であり、その再創造に向けて、現在の私たちも共に働くよう招かれている、とライトは言う…と書くと、大雑把で、不正確かもしれないけれど…  うーん、Surprised by Hopeは、もう一度読み返す必要がありそうだ。

Surprised by Hope: Rethinking Heaven, the Resurrection, and the Mission of the Church

Surprised by Hope: Rethinking Heaven, the Resurrection, and the Mission of the Church

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