ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

11年前の今日のこと

 11年前の4月のある日に書いた日記の転載です。
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 夜10時過ぎ、私はいつものようにすでにベッドにもぐり込んでいた。
 間延びした前駆陣痛が何日も続いていて、この晩も15分間隔くらいで弱い陣痛があった。規則的ではあったけれど、いかんせん、それほど痛くはない。

 「痛くなくっちゃ、陣痛とは言えないよね。」

 そんなことをつぶやきつつ、大きなお腹で寝返りをうつ。
 うつらうつらしていると、かなりの痛みでハッと目が覚めた。しばらく時計と睨めっこしていると、「痛いぞ」と感じられるくらいの陣痛が定期的にきている。

 「あと2、3回痛い陣痛が来たら、起きてシャワーを浴びた方がいいかも・・・」

 数十分後、私はベッドから起きてシャワーを浴びていた。夜中のうちに病院に行くことになるなら、何はなくともまずシャワーだと思ったのだ。
 シャワーから出ると、軽い出血があることに気付いた。 おお、いよいよか・・・
 俄然はりきる私。ルンルンしながらドライヤーで髪を乾かす。 思わずお化粧をしそうになったけれど、さすがにそれはやめた。
 それからおばあちゃんの部屋へ行き、いよいよお産が始まったようだからと、その後の作戦を練る。これから病院へ行くなら、多分朝までには戻れないはずだから、子供たちを学校に送る手順はどうしたらいいか、お弁当はどうするか、等など・・・ 作戦を練りながらも陣痛に襲われる。待ちに待った陣痛だから、痛みも何のその。おばあちゃんとの作戦会議が終わると、階下に降りていき、キッチンのテーブルで仕事をしていたぼぼるパパと次なる作戦会議。

 「いよいよだと思う。」
 「えっ、ホントに?」

 私の入院中に子供たちのためにしなくてはならないことをぼぼるパパに伝え、エミ宛てのメモを残し、キッチンのまわりを最後にもう一度軽く片付けた。陣痛がくるとしゃがみこむほどに痛い。約10分間隔。
 病院に向けて家を出たのは午前一時半頃。病院までは約30分かかる。車のなかでもどんどん陣痛が来る。病院に着いた頃には5〜7分間隔くらいになっていた。
 夜中なのでERの入り口から入らなくてはならない。最初の予定では、ERの入り口に私をまずドロップオフしてからパパが駐車場に一人で車を停めてくるはずだったが、このあたりはあまり治安がよくない。夜中の駐車場でぼぼるパパが賊に襲われたりしたら大変だと思った私は駐車場までパパと一緒に行くことにした。駐車場からERの入り口までぼぼるパパと手をつないで夜道を歩く私は、陣痛の痛みにもかかわらず、何ともウキウキしていた。
 受け付けでは、大きなお腹で呻いている私を見た係の人がすぐに車椅子を出して産科病棟まで連れていってくれた。手際がとてもいい。手続きもすぐに終わり、病院服に着替え、当直のお医者さんに診察してもらう。 陣痛は五分間隔。 午前二時過ぎ。
 診察してくれた若い女の先生は言った。「オー、ディスイズベリーナ〜イス! 7センチミーターズ!」 なんと! すでに7cm開! 痛みよりも嬉しさのために涙が込み上げる。今回こそ、きっときっと、ツルリと生まれてくれるに違いない・・・!

 それから陣痛/分娩室へ運ばれた。担当の看護婦さんは若い白人の女性。珍しい。この病院の看護婦さんは圧倒的に黒人の人が多いのに。彼女は声が暗く、なんとも無愛想な人だった。まぁいいけど。早速お腹には陣痛計と赤ちゃんの心音モニターのベルトが巻かれる。体温を測ったり血圧を測ったり。陣痛も遠のくことなくちゃんと来ている。よし、いいぞ!
 呼吸法で痛みをしのぎつつ、子宮口が全開になるのを静かに待つ。午前三時半頃になったとき、やおら隣の陣痛室が賑やかになった。誰かが運ばれてきたらしい。その女性はすでに大騒ぎしている。「随分派手にやってるねぇ〜。私もそのうち叫び出すのかなぁ・・・」
 やけにゆとりの私はぼぼるパパとそんなことを言って笑顔を見せていた。そうこうしているうちに隣の部屋からは看護婦さんたちが大声で「ワン、ツー、スリー!」とカウントしているのが聞こえてきた。いきんでいるんだ。 と、「オギャ〜!」赤ちゃんの泣き声。生まれた! 早い! あっという間だ。 いいなぁ、こういうのが私の憧れなのよ。
 すると、私の部屋に最初に診察してくれた若い先生がやってきて、陣痛のつき具合が今ひとつだから促進剤を使いましょう、と言う。 ええ〜っ、なんか嫌な予感。この辺りからだんだん雲行きが変わり始めた。午前四時過ぎ。
 促進剤を使い始めると、それまでは呼吸法でしのげていた痛みが突然勢いを増し、私はパニック状態になってしまった。あんなに静かに冷静に耐えていたのに、別人のようにわーわー騒ぎだした。そしてそのうちいきみたい衝動に駆られ、看護婦さんを呼んだ。午前五時近く。(時間はよく覚えてなかったが、後でぼぼるパパがそう言っていた。)
 看護婦さんと一緒に先生がやってきて、子宮口の開き具合を調べる。妊娠期間中私を診察してくれていた担当の先生は、当直ではないのでこの夜はいなかった。代わりに若い女の先生と、ベテランの女の先生、ドクター・ヒバートがついてくれた。
 「まだ8センチねぇ。でも、こんなに薄く柔らかくなっているから、このままいきんでも大丈夫ね。私が手で押し広げて助けてあげるから。さ、次の陣痛が来たらいきんでもいいわよ。」と若い先生。
 ん? それって、結構過激じゃありません?
 「すみません、すごく痛いんです。エピデュラル(麻酔)使ってください!」
 「何言ってるの、もういきまなくちゃいけないんだから、ダメよ。」
 なんとつれないこと。これから続く修羅場をこの痛みのまま迎えないといけないのかと思ったら、それだけで卒倒しそうだった。
 そしてその、「手で押し広げる」というのがメチャクチャ痛いこと!
 「痛い、痛い、痛い〜〜〜〜!!! 手を離して! どいてええええ〜〜!!」
 叫びまくる私。痛くてしょうがないのだけれど、眠気も猛烈に襲ってきた。夜からずっと寝てないのだもの。せめて陣痛と陣痛の合間には休みたいのだが、この若い先生が手をつっこんで押しまくるので痛くてたまらない。赤ちゃんの頭がここにあるとか、背中がこっちをむいているとか、いろいろ言っている。私は実習の材料じゃないんですけど。痛いぞ〜〜〜。 私が叫びながらつい身体を反らせると、看護婦さんやお医者さんは私を叱りつける。
 「陣痛が来たらちゃんといきんで!しっかりしなさい!あなたはこれが四回目なのよ!」
 そんなこと言われたって・・・ 痛みと悲しさで涙が溢れる。 
 必死になっていきんでもいきんでも、赤ちゃんは出てくる気配なし。ツルリはどうなったの、ツルリは? 私はこの時、あることを心の中で叫んでいた。とっても悲しかった。
 「今までの私の出産は全部難産で、カンシか吸引分娩でした。今回も難産が予想されるから帝王切開になるかもしれないと私の担当の先生はおっしゃってました。もう、構わないですから、帝王切開にしちゃってください!」陣痛の合間に訴える私。
 「帝王切開? とんでもない、ここまできたら、普通に生むしかないわよ! ほらっ、陣痛が来てるのに、いきんでないじゃないのっ!」怒号がとぶ。
 そうこうしているうちに、赤ちゃんの心音が下がって来た。ヒバート先生は最初に顔を出すとすぐに姿を消し、若い先生と看護婦さんだけがついていたのだが、若い先生が看護婦さんに、ヒバート先生を呼び出すよう指示をしている。看護婦さんは電話をかけるのだがつながらないようだ。「貸して! 私がかけるから!」若い先生は電話を奪いとった。
 ドクター・ヒバートが駆け付けると、私はベッドごと廊下に運び出された。万歳、ついに帝王切開にしてくれるのだろうか。これで麻酔をかけてもらえる。これで痛みがなくなる・・・ 朦朧とする意識のなかで、私はほっとしていた。 そしてガラゴロと手術室のようなところに運びこまれた・・・ が、なぜかそこには誰もいなかった。
 「Where are nurses!? 看護婦たちはどこにいるの?」怒鳴る若い医者。いや、ドクター・ヒバートだったかもしれない。私にはわからない。
 そこへどやどやと看護婦さんたちが入ってきた。
 「何をしているの!? 急いでいるのよっ!」
 看護婦さんと一緒に麻酔科の医師も入ってきたらしい。私にむかって挨拶をしている。
 「ハ〜イ、アイム ドクター○×。麻酔科の医師です。」
 あのう、名前なんか言われたって、今の私にはどうでもいいんですけど・・・
 眠くて、疲れて、どうしようもなかった私はこれでようやく休ませてもらえると思い安堵の息をついていた。ただただ、痛みのない世界へ行って永遠に眠ってしまいたいと思っていた。 
 ところがどっこい。お医者さんたちは疲れ果てている私の両足を押し広げると、「さあ、次の陣痛がきたら思いっきりいきむのよっ!」
 嘘でしょう? 帝王切開になるんじゃなかったの?
 お医者さんの優先順位は弱っている赤ちゃんを一刻も早く無事に取り出すこと。
 私が痛かろうが疲れていようがおかまいなしだ。足の付け根の辺りをぐいぐい押され、ものすごい激痛が走る。痛みのあまり、足が痙攣していた。ガルバーニのカエルになった気がした。
 もう何が起きているのかわからなかった。ただ痛い、痛いと叫び続けていた。(というか、ぼぼるパパに後から言わせると、私はお医者さんたちと怒鳴りあっていたそうな。)看護婦さんやお医者さんが「私たちの言うことを聞きなさい!あごを胸に引き付けて背中を丸めるようにしていきむのよ!」と怒鳴る。え〜ん。頭ではわかっているけれど、身体がいうことを聞いてくれないのよ。所在のなさそうなぼぼるパパが、隣で「ホレ、はちこ! ガンバレ、ガンバレ!」と気合いの入らない声援をボソボソと送っている。
 「痛いー! あなた、通訳してよ!」私が夫に懇願すると、彼は、小さな声で、「アー、シーセズ、イットハーツ」と通訳を試みたが、ドクターからもナースからも完全に無視されていた。
 わけがわからない状態になっていたが、はっと気付くといつの間にかカンシが差し込まれ赤ちゃんの頭が引っ張られているのを感じた。ここで頑張らずにいつ頑張る? はちこ、最後の力を振り絞って必死にいきんだ。 このまま果てても悔いはない、という感じ。
 シュポン! 赤ちゃんの頭が出た! 引っ張られていたのがふと楽になった。もうひと踏ん張り。肩が出て、身体全体が出た。ついに生まれた!
 しかし産声はなかった。「赤ちゃん、泣いてないじゃない? 大丈夫なの? 生きているの?」朦朧とした頭でぼぼるパパに聞く。この後、私はしばらく寝てしまったのかもしれない。あまりはっきりとした記憶がない。いくつか覚えているのは、赤ちゃんが生まれた後もお医者さんが何かをしていて痛かったので「何をしているんですか?」と聞くと、「止血してるんですよ」という返事があったこと、いつの間にかおくるみにくるまれた赤ちゃんが連れて来られ、「あれれ? またこの顔の赤ちゃんが生まれた」と思ったこと(エミ、みん、ま〜やが赤ちゃんの時と同じ顔だったのだ)、それからぼんやりしている私に看護婦さんが、赤ちゃんに何やら心配な点があるのでこれから新生児ICUに入れます、と説明してくれたこと。こんなに苦労して生んだのに、ちらりと顔を見ただけで、抱かせてもらうこともなかった。
 生まれたのは午前6時ちょっと前。とてつもなく長い間だった気がしたが、病院に着いてから四時間以内、いきみ始めてからは1時間以内で生まれたのだから、私にしてみれば画期的なスピード出産だったわけだ。 

 赤ちゃんも、NICUからは一日足らずで出てきて、産後2日めには母子揃って退院したのだから、感謝なお産だったのだろう。(私にとっては、今までの人生で最悪の四時間だったかもしれないが。)

ぼぼるパパは子供達が朝、学校へ行く時間までには帰宅することが出来、エミやみんは朝起きたら「赤ちゃん生まれたよ!」のニュースに狐につままれたようだったとか。

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 こうして、11年前の今日、ケンスケ誕生。3月22日、午前5時43分 3830グラム、49センチ。

 ケン、11歳のお誕生日おめでとう!


 

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