ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

Welcoming prayer

 昨日は、月に一度のSpiritual directionのセッションの日でした。当初は1時間ということだったのに、結局、毎回1時間半くらい話しています。先月のセッションのあと、ぼぼるパパに、「今日は何を話したの?」と聞かれ、私が怒濤のように、「これとあれとそれと…」と話した内容を彼にもシェアすると、彼は「それをパスター・ケイシーは全部聴いてくれたの?」私「そう。」彼「よかったねぇ、そんなに聴いてもらえるなんて」と、しみじみ私のために喜んでくれました。(笑)
 でも、決してずっとしゃべりまくっているのではなく、セッションは、まず心を鎮めるための沈黙の時間をとり、それから詩篇を読んで、祈ってから始めます。セッションの途中でも、思いを巡らせたりするために、自然と沈黙になることもあります。
 ともあれ、昨日もいろんなことを話しをする中で、私の生活の中にある種のテンションがあるようですねとパスターから指摘。この一ヶ月あまりのうちに、私は自分の召しを改めて確認できたように思っていたのですが、そのわりには、自分が召されていると思っていることに集中しきれていない自分がいて、確かに、四方八方に引っ張られているかのように感じていたのでした。そこで、私の時間と心を占めていることにどんなものがあるのかを考え、その一つ一つについて、個別に、自分の関わり方を神様に尋ねてはどうかと勧められました。そのとき、私が、「でもこれから5月にかけては年度末で、子供の行事もたくさんあるし、私の用事もいろいろ入っているから、流されてしまいそうです」と言うと、「まだ起こっていない事柄について、不安に思っているようですね。それでは、次の一ヶ月あまりのうちに予想される忙しさやそれに伴う感情について、それらを受け入れる祈りをしてはどうでしょうか」と勧められました。それは、David Bennerという人が『Opening to God』という本の中で「Welcoming prayer」として紹介している祈りだそうです。自分の生活の中にあるネガティブな事柄について、抵抗して戦おうとするのでなく、それを受け入れる。welcomeしてembraceする。そうすることによって、そういったネガティブな状況や感情の奴隷となって振り回されるのでなく、それを主にあって自分の支配下に置き、今度は手放すことができる…ということだそうです。(ヘンリ・ナウエンも、同様のことを「愛されている者の生活」の中で語っています。)
 なるほど。これからいよいよ慌ただしくなる予定なので、welcoming prayer、さっそくやってみようと思います。

 この本について、パスター・ケイシーが書いた書評です。

 ところで、夫が今日、一週間の中国出張に旅立ちました。チンタオ大学と北京大学でレクチャーをするらしいです。万里の長城にも連れて行ってもらえるそうです。いいな〜。早く子供が全員大学生以上になって、私も彼の旅行にお伴できるようになりたいな。

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