ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

三陸石巻ほや・帆立復興支援プロジェクトについて

Facebookの私のnoteからの転載です。

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 以下の文章は、聖書キリスト教会の尾山キャシーさんが書かれた文章を、オアシスチャペルの松田牧人牧師の依頼により、日本語に訳したものです。(最後の段落に、支援に関する詳細を少しだけ付け加えてあります。)

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 先日、石巻の漁師さんたちを東京にお招きしてお話を伺う機会に与りました。この漁師さんたちは、2011年3月11日のあの大津波によって、生計も、家も失いました。中には家族さえ失った方たちもおられます。漁師さんたちがお分ちくださったお話を伺いながら、私の心は震えました。彼らの体験からは、私たちも学べることがたくさんあります。
 一人の漁師さんは、港で、ちょうどその日の仕事を終えようとしていたところだったそうです。地震が襲ったとき、片付けをしていました。高台に避難する前に、やってきた津波に飲み込まれてしまいました。瓦礫の浮かぶ波間を泳ぎ、漂流物にしがみつき、屋根の上によじのぼっては少し休憩し、それからまた泳ぎ、流されてきたボートによじのぼってはまた休み… しかし、そのうち波に引っ張られて海に流されそうになりました。幸い、電柱と建物の屋根にひっかかったおかげで海に引きずり込まれずにすみました。そして、ついには岸に向かって泳ぎ切り、水からあがり、山に逃げることができました。全身ずぶ濡れで、寒く、疲労困憊していました。その日、その港で彼と一緒に仕事をしていた漁師たちのうち、助かったのは彼一人でした。
 もう一人の漁師さんは、とっさの判断で、養殖イカダを救うためにイカダに乗って海にこぎ出したそうです。そして、イカダの上から町全体が津波に飲み込まれるのを見たそうです。彼は、イカダに乗ったことを後悔したと言っていました。たとえイカダは助かっても、家族がどうなったかはわからなかったからです。その後、二日二晩、イカダの上で過ごしました。瓦礫と化した町の残骸が流れてくるのにぶつからないよう避けながら、そして、愛する人たちは助かったのだろうかと心配しながら… ようやく家族と再会できたとき、皆、泣いて、そして再び離ればなれになることを拒みました。ヘリコプターに乗って安全な場所に避難するときでさえも、ばらばらになることを拒みました。食べ物も身を寄せる場所もなく、寒さに凍えても、家族全員でいるほうが、たとえ避難するためでもばらばらになってしまう不安を再び味わうよりは、ましだったからです。
 また別の漁師さんは、話を分かち合おうと立ち上がりましたが、話し始めるとあの日の記憶が心に押し寄せ、言葉が出なくなってしまいました。彼はただ、そこに立ち尽くし、すすり泣くばかりでした。皆、口をそろえて言いました。あの日の出来事は、思い出したくないことなのだと。まさに地獄の一日だったのです。
 あの日以来、漁師さんたちは生活の糧を失いました。それは、何百年にもわたって、ひとつの世代から次の世代へと受け継がれてきたものでした。単なる仕事ではなく、代々受け継がれてきた伝統であり、日本の歴史を織りなす遺産だったのです。彼らにとって、生計を立てるために別の新しい仕事を見つけるなど、とても考えられず、受け入れらないことでした。再建する以外にはあり得ません。でも、どうやって? 何もかも失ってしまい、やり直したくてもどうしようもなかったのです。
 数人の高校時代の友人が、彼らの事業復興のために協力を申し出てくれました。彼らの養殖事業を建て直すために、必要な資金を集めよう、と。私たちが石巻の漁師さんたちを東京にお招きし、お話を伺うことができたのも、この海友支援隊という団体(http://oasislifecare.org/?p=481)を通してであり、オアシスライフケアの仲間たちの協力があったからでした。
 彼らのお話を伺いながら、この方たちは偉大な信仰を持っておられると気づきました。この事業復興は、自力ではとうていできないことです。しかしそれをするために、彼らは前進しておられるのです。まず、帆立とほやの養殖の再開に向けて動き出しました。これは、最初の収穫までに3、4年はかかるプロセスです。彼らの事業はすべてが破壊され、すべて失われてしまいましたが、金華ほやと帆立の養殖を、そして三陸の漁場とそのコミュニティーを、復興させることに彼らの心は定まっています。 彼らは漁師です。イエスの弟子の中にも4人の漁師がいました。海友支援会は、オアシスチャペルという教会と協力しています。オアシスチャペルは、彼らを励まし、イエスの愛を示すために、彼らに寄り添って働いています。この働きを通して、この勇敢な漁師さんたちが、あの日、彼らを守り、苦しみの中もここまで導いてくださったお方が誰だったのかを知り、その方に信頼を置くようになるときが来ることを、そしてあの日、この地を去った人たちとも、そのお方が共におられたことを知るようにと、祈ります。
 彼らが前進し続けるためには、支援が必要です。流されてしまったものを建て直すために働く一方で、家族を養うために慣れない仕事もしなくてはなりません。最初に出荷できるのは3、4年先で、それまでは養殖の仕事から入る収入はないからです。そこで、彼らを助けるために、海友支援会では、一口一万円からの支援を募集しています。http://www.kinka-hoya.com/ から申し込むことができます。
 経済的支援ができるかどうかにかかわらず、この方たちを皆さんのお祈りに覚えていただければ幸いです。
 尾山キャシー (聖書キリスト教会)
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オアシスライフ・ケアでは、養殖復興プロジェクトを進めている「海友支援隊」さんの働きを手助けするために、活動PR用のドキュメンタリーを制作しました。

宮城県石巻市では、震災前まで全国シェアの8割を占める「ホヤ」が養殖されていました。しかし、津波によって養殖イカダが全部流され、海産物の加工場も全壊してしまいまし­た。養殖業の継続が不可能になる壊滅的な被害…。そんな危機から抜け出すために、一般社団法人 海友支援隊さんが養殖復興プロジェクトを立ち上げたのです。

 私も、一口だけですが、早速支援させていただきました。そして、こんな可愛いストラップをいただきました。^^

 支援者全員に送ってくださるのだそうです!そして、復興したあかつきには、ほやと帆立の詰め合わせを送ってくださるのだそうです。アメリカまで送っていただくのは無理でしょうが、いつかぜひ、三陸を訪れ、海のパイナップル、金華ほやを味わってみたいと思います。それまでの間、これを見ながら、三陸の漁場の復興のために、祈ります!

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