ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

境界線の機能

 リバイバル新聞では今、3月にもたれたリカバリーセミナー:バウンダリーの内容に関する連載をしている。(全12回、3ヶ月間に渡る連載で、現在第3回め。)今日届いた5/1号では3月21日午前のタウンゼント博士のセッションから「境界線の機能」についてが出ていた。
 境界線には二つの機能がある。一つは自分がどういう人間であるかを明確に「定義」する機能。聖書の中で、神はご自身を明確に定義しておられる。ご自分がどのようなお方であり、どのようなお方ではないのか、何を愛し、何を憎まれるのか、どういう原則を持たれ、それに反したならどのような結果があるのか、そういった事を私たちに明らかにしておられる。そして神は私たちにも神と同じようであって欲しいと願っておられる。つまり、神が愛するものを愛し、神が憎むものを憎み、また自分がどういう価値観を持った人間なのかを他者に対して明確にすることを願っておられる。
 もう一つの機能は「守り」である。(っていうか、「保護」ですね。記事の中で「守り」となっていたということは、私がそのように通訳したのでしょう。冷や汗。英語ではprotection と言っていたはず。こういう時は「保護」と訳したかった… と今更自分に突っ込んでも遅いか。うう。)箴言4:23に「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ」とあるが、私たちは自分の境界線の中にあるものには自分で責任を持ち、それを周りの悪から守る必要がある。自分を傷つけようとする人や状況からは境界線を引いて距離を取る必要がある。それは、神さまから委ねられた大切な宝を守ることであり、それによってさらに自由に、心からの愛をもって仕え、与えることのできる人間になるためである…
 このお話のなかで、タウンゼント先生は、私との間に起きたあるやり取りを例に使っておられた。21日の朝、会場に向かう途中、私は寒くて震えていた。一方先生は、自分が着ているコートの他に、前日に尾山清仁先生から借りた余分のコートを手に持っておられた。私はそれを「寒いので貸して下さい」と言えばよかったのに、つい遠慮して黙っていた。そしたら先生の方から気が付いて、「コート、着る?」とオファーしてくださったので、私はそれにとびついた。私は自分に必要があったのに、それを満たすことのできる人に対してその必要を正直に表現していなかった、という例だった。この場合、先生が気が付いて貸して下さったから良かったものの、そうでなければ私は寒くて風邪を引いていたかもしれないし、さらには「どうして先生は私が震えていることに気づいてくれないのかしら、余分のコートを持っているんだから貸してくれればいいのに、意地悪ね」などと逆恨みをしていたかもしれない。まぁこれは些細な例だけれど、実はこのようなことは日常生活の人間関係の中では結構よく見られるのだと思う。特に日本人は、自分の必要を明確にすることが苦手であるうえに、「気配り」を美徳とするから、言われなくても相手が気づいてくれることを期待してしまう部分があると思う。ところが相手が自分の期待通りに動いてくれないと、逆に相手を心の中で裁いたり恨んだり苦みを覚えたりする。とても不健全。
 さて、実はこの「境界線の定義」の話には後日談がある。コートとは関係ないんだけどね。セミナー三日目の後、みんなで食事に行った話は先日セミナー四方山話の中で書いたけれど、この食事のデザートの時のこと。2種類のデザートが出され、お店の人は、その2種類をランダムに配ってくださった。一つはチョコレートケーキで、もう一つはクリームブリュレ。私の前に置かれたのは後者だった。タウンゼント先生は並べられたデザートを見て、「2種類あるんだね、じゃあみんなで分けっこしようよ」とおっしゃった。しかし私は「あら、でも私はクリームブリュレ、大好きだから」と言った。先生は笑いながら「なんだー、さちはシェアしたくないんだー」そこで私はすかさずこう言った。「だって先生もおっしゃってたでしょ。私たちは自分が何を好み、何を好まないか、自分の境界線の定義を明確にすべきだって。」するとタウンゼント先生もオカオト先生も大爆笑して、タウンゼント先生はお腹を抱えつつ「さちはもうこれ以上僕の本を読んじゃダメだ」とおっしゃった。それから「僕は君のご主人に申し訳ないよ、君をこんなモンスターにしてしまって」とも。(笑)
 笑い話はさておき、自分の境界線を愛をもって尊重してくれる人と一緒にいることは心地よい。自分もまた相手の境界線を尊重しようと、素直に思わされる。境界線を引くことは、決して相手との間に壁を作って断絶することではなく、互いに相手をより良く知り、さらに愛しあえるようになることを助ける。そうして不必要な摩擦や苦みは回避され、健全で前向きな人間関係が構築される。タウンゼント先生たちと一緒に過ごした数日間は、そのことを私に身をもって教えてくれた。デザートの件も、私はクリームブリュレがとても美味しかったので、結局オカモト先生にも「美味しいですよ、一口いかがですか?」とオファーした。それは、タウンゼント先生にプレッシャーをかけられたからではなく、美味しいものを分かち合いたいと私が心から思ったので、自主的にやったこと。そしてオカモト先生のチョコレートケーキも一口いただき、それもとても美味しかった。(^^)

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