ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

神の似姿に造られた

 翻訳中の『12 "Christian" Beliefs That Can Drive You Crazy』に、「他者との絆作りは、私たちの最も深く、最も基本的な霊的・感情的必要です。神は関係を持たれるお方であり、私たちもまた関係を持つ存在として造られました(第一ヨハネ四・16)」という文章があった。
  神は愛であり、愛は「関係」なしには存在しえない。私たちが神の似姿に造られたということは、私たちも、神や他者と関係を持つ存在として造られたということ。ところが「堕落」を通して罪が入ってきために、私たちは神が本来意図されたような健全な形で神や他者と関係を持つことができなくなってしまった。(この辺りのことは、『スモールグループから始めよう!』にも出てきたし、『How People Grow』にも詳しく書かれている。)しかし、イエスさまの贖いの御業のおかげで、私たちは再び関係の中に招き入れてもらえるようになった。神との関係が回復され、人々との間にも絆を作り、健全な愛の関係を持つこと、それが可能になった。
 翻訳の手を止めて、ぼんやりと思いを巡らせていた。栄光から栄光へとイエスの似姿に変えられていくとは、ただ「聖化」のプロセスのことだけでなく、私たちが神のように、イエスさまのように、他者との間に健全な愛の関係をもてる存在へと変えられていくことなんだなぁ、と。いのちを育み、愛と恵みを溢れ出させ、真理を喜び、癒しと回復と変化と成長をもたらすような人間関係。どんなに「霊的な」体験をしようとも、心を開いて他者との間に関係を築くことができないなら、その「霊的な」体験には何の意味があろうか。どんなに「霊的な」洞察力を持とうとも、他者から孤立したまま、深いところで人々とつながりを持てないなら、その「霊的な」洞察力に何の価値があろうか。
 私に足りないもの、私が心の奥底で切望していたもの、それが何だったのか、ここ数年の主の導きの中で、ようやく見えてきた気がする。

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