ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

 スタミナ

 エミは8月から高校に通っていて、日曜をのぞくほぼ毎日、水泳部の練習と競技会に明け暮れている。競技会が週1、練習が週5日でそのうち2日は朝6時の早朝練習である。送っていく私たちも早起きをしなければいけないので大変だ。何しろ今の時期6時といえばまだ真っ暗で、星や月が照り輝いている。これまでまったくスポーツタイプでなかったエミだが、だんだん腕に筋肉がついてきた。とはいえ、他のアメリカ人にまざればまだまだ華奢で非力だけれど。

 先週は競技会の見学に行ってきた。午後の5時から8時まで。他の高校のチームを迎えて、競泳と高飛び込みの各種目で成績を競う。この日エミは200メートル自由形個人、50メートル自由形個人、および200メートル自由形リレーの第一泳者として出場。平均してみれば中の下くらいの成績だったが、他の大柄な選手と並んで、オリンピックサイズプールのレーンを右へ左へと向きを変えながら200メートル力泳する様子は我が子ながらたくましかった。きょうは最長200メートルだったが、500メートル(20ラップ)も泳いだことがあるらしい。

競技会のあと、「あれだけ泳いで疲れないかい」と聞くと、「疲れるよ。とくに200メートル。スピードも距離も出さなくちゃいけないから、500メートルよりしんどい」とエミ。何でも、練習では毎回連続で2キロは泳ぐのだそうだ。最初の150メートルでだいたい腕が棒のようになり、あとはコーチの叱咤激励に従って、その棒のような腕をひたすら回転させるという。エミはキック力は強いが腕力がまだ足りないらしい。

「途中でしんどいから、もう止めちゃえと思うことはないの」
「思うこともあるけど、歩いちゃったら、失格だから。」

失格したくないから泳ぎ続けるというエミの話を聞いて思い出したのが第一コリント9章24−27。「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」私たちの霊の歩みも、スプリントというよりは、棒のような腕にむち打って進む長距離競泳のようなものなのだろう。

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