ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

 宗教と科学

今学期は毎週月曜日夜7時から10時まで、大学の近くにあるルーテル神学校の「宗教と科学」に関するプログラムで、「創造の叙事詩(Epic of Creation)」という講座を聴講している。この講座は、自然と聖書が世界の始まりについてどう語っているかについて、現役の科学者と神学者を講師陣に迎えて、双方の知見を交換するのが目的である。メインストリームの研究者による、掛け値なしの最新情報を聞くことができるまたとない機会である。講師は無神論者、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教など宗教的背景もさまざま。たとえば宇宙論ではシカゴ大学の宇宙物理学の教授が最新の銀河地図のデータも交えながら、ビッグバンから相対性理論暗黒物質、暗黒エネルギーまでを簡潔にまとめて行く。一方ノースウェスタン大の生理学の教授がジャンクDNAが分子レベルでの進化に果たす役割について解説したかと思えば、ロヨラ大学の人類学部の学部長がアウストラロピテクス・アファレンシス(愛知万博のエチオピア館にも展示されていたいわゆる「ルーシー」の仲間)の化石を何体も持ち込んでみんなでそれを手に取りながら、人類の解剖学的進化について話を聞く、といった具合(講演の題目は、ここ)。10月の中旬からはいよいよ神学の方面でのディスカッションが始まる。私にとってはこっちの方がより興味深い。

 このプログラムのよいところは、違う立場の考えにとにかく耳を傾けようするところである。学術的なスタイルもさることながら、無理に神学と科学を整合させようとするのではなく、とりあえず双方の言い分を聞くところから始めようという、開かれたアプローチがとても心地よい。教会や大学では、「クリスチャンの立場はこうあるべし」「科学者の立場はこうあるべし」みたいな暗黙の前提があるようで、両者をクロスオーバーして議論するような余地はほとんど与えられないのが窮屈に思えることが多い。このプログラムのように、ドグマから解放され思ったことを自由に言える環境というのは、私にとって一服の清涼剤のようだ。

 はちこは、こういうところに行くと私が神学的にリベラルになってしまうのではないかと心配しているようだが、必ずしもその心配はないと思う。リベラルなのは「アプローチの方法」であって、何を信じるかは一人一人の自由な選び取りに任せられているのだから。

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