ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

 句点と読点

6月にパスター・ウィルソン急逝の報を耳にしたとき、納得がいかなくて神様と格闘した。パスター・ウィルソンには私たちがシカゴに来てから2年間お世話になっただけだったが、彼からは多くを学び、彼も私たちのことを気にかけてくださっていた。彼が私たちの教会を去ったあとも、主にある兄弟としてお互いに尊敬していたし、まだまだこれから主のために何か一緒にできるのではないかと期待していた。実際、彼が亡くなった二日後の日曜日には、はちこと二人で初めて彼の教会に訪れ、賛美と証を会衆とわかちあうことになっていたのだ。それを待たずに、主は彼を召された。私たちの友情は、予期せぬ形で途切れた。私のような者でさえそう感じたのだから、パスターの長年の親友や、彼が牧会していた教会の信者たちの気持ちやいかばかり、である。「神様、なぜパスター・ウィルソンを今召されたのですか」

しかし、その週、大学のキャンパスを歩いていると、ユナイテッド・チャーチ・オブ・クライストの外壁に大きな垂れ幕がかかっているのが眼にとまった。そこにはこう書かれていた。「Never place a period where God has placed a comma. God is still speaking,」(神が点を打っただけの文を、決して丸でくくろうとするな。神はまだ話し終わっていない、)パスター・ウィルソンの死がもたらした喪失感、彼の癒しのための祈りが答えられなかった失望感は大きかった。彼の人生、彼と私たちの関係に関する限り、「これで終わりだ」という気持ちが強かった。しかし、ふと、神様の目には、これはパスター・ウィルソンに関する文節の中の読点にすぎず、話はまだ完結していないのかもしれない、と思った。少なくとも、パスター・ウィルソンに教わったことは私たちの中で生き続けるはずだ。「神様、続きをお話しください」そう祈ると、すこし気持ちが前向きになった。

そして、10月。あの時神から語られたことは間違いないと思う。私たちがパスター・ウィルソンから学んだのは、教会が私たちにとって祝福であるだけでなく、私たちの存在が教会にとっても祝福となるように、つまり、キリストの体の一部として、双方向の関係を結びなさいということだった。パスター・ウィルソンが亡くなって、あらためてそのことを強く思わされている。あれからもいろいろあったが、そのつど、個人的な交わりを通して、奉仕を通して、私たちが教会の有機的な一部であることを神は繰り返し私たちに示された。それは神の真理であると同時に、私たちにとってはパスター・ウィルソンのレガシーであり、彼を通していまだに神が私たちに語ってくださっているのである。

私たちの視野は狭く、先のことまで見渡せない。現状だけを見て「もうだめだ、おしまいだ」と思ってしまう。しかし、きのう、きょう、永遠に変わらぬ神様は、話の続きを語ろうと待っておられるのであろう。安易に神に背を向けてしまわないようにしたいと思う。

Never place a period where God has placed a comma. God is still speaking,

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