ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

 Be comforted

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。マタイ5:4

今年の夏に20年ぶりに北アルプスを一人で縦走したときのこと。初日に大快晴の空のもと、登り詰めた合戦尾根のてっぺんから表銀座、裏銀座、槍穂高、立山、剣の大展望を欲しいままにした私は、二日目も同じような空模様を期待していた。わざわざアメリカから山登りに帰るのだから、多少の混雑は覚悟の上で、天候の安定する梅雨明け十日を狙ったのである。今日は大天井岳から西岳への2800メートル級の主稜線の縦走。まさに私が思い描いていた「夏山」のイメージ通り、積雲をバックに、槍穂を間近に見ながらの爽快なプロムナードとなるはずだった。

ところが、である。朝起きると稜線は深い霧に包まれていた。陽が昇ればそのうち晴れてくるだろうと踏んで見切り発進をしたものの、歩いても歩いても霧は晴れず、お目当ての槍穂はおろか、行くてに見えるはずの大天井岳の影すら見えない。そのうちだんだん天上沢の方からの風が強くなってきたかと思うと、ぼそぼそと雨まで降り出した。こうなると気分までしみったれてくる。景色が見えなくてつまらないだけではない。体温が奪われないように雨具を着込み、岩場や梯子で足をすべらせないように注意しなくてはならない。全く視界のきかない山道をひとりでとぼとぼと歩いていると、ふっと言いようのない孤独感に襲われたりする。せっかく登頂した2900メートル峰大天井岳の頂上でも結局天候は回復せず、展望はまったく得られなかった。

とちゅう休憩で立ち寄った大天井ヒュッテでうどんを注文しながら、

「ちょっとあいにくの天気になってしまいましたねえ」

と私が言うと、小屋の主人の小池さんはにっこり笑って、

「こういう日は、お花をゆっくり見るといいんですよ」

と言われた。それを聞いて、はっとした。私は自分がイメージしていた太陽いっぱいの夏山に邂逅できずにがっかりしていたのだが、遠くの景色だけが山ではないでしょう、足下にも見るものがいっぱいありますよ、という小池さんの言葉に心の目が開かれた思いがした。

その日は午後になっても霧は晴れなかったが、次々に現れる高山植物のお花畑が本当に美しく、歩いては立ち止まり、アングルを変えて写真を撮った。晴天だったら気にもとめなかっただろうコイワカガミトリカブトの花でさえ、とても可憐で、歩みを軽くしてくれた。見渡すかぎり白い霧の世界の中で、明らかに、自分はこの花たちに慰められている、と感じた。慰めを素直に受け入れられる自分にちょっと驚いた。学生時代に山をやっていたころには経験したことのない感覚だった。もしかすると神様は「Let me teach you what it is like to be comforted」と言って、霧の日をプレゼントしてくれたのかもしれない。

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