ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

You shall be holy, for I am holy

 レビ記19章2節の御言葉、「主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない」は、読むたびにずしっとくる。正直に言えば、何か突き放されているような気がして、何となく苦手な箇所だ。そう言われたって、そんなに簡単に神さまが聖であるように私が聖になれるわけないじゃないですか、という気持ち。もちろん神さまの聖さに与るものになりたいと心底願っているし、そのように祈り求めてもいるのだけれど。
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 昨日の件で、今夜エミともう一度ゆっくり話した。彼女は今、深い痛みの中にいる。イエスさまを信じる信仰のゆえに、人から理解してもらえない時、批判される時、誤解される時、それはとっても辛く悲しい。それが、自分も信頼と好意を寄せていた人からだったなおさらだ。苦しんでいる娘を見ながら、私も胸が痛んだ。信仰のゆえに聖い選択をしようとしているエミを応援しながら、私の中に突然ある思いが押し寄せて来た。
 神さまが私たちに「主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない」とおっしゃった時、一体どんな思いでおられたのだろうか。今まで私が感じていたように、本当に遠く離れたところから突き放すように言われたのだろうか。きっと違う。人間の親でしかない私でさえ、エミのために心を痛め、必死で祈り、相談相手となり、知恵の限りを尽くしてアドバイスをしようとしているのなら、天のお父様である神さまは、もっとそうではなかろうか。私たちが聖なる者になるための選択と努力をしようとする時,イエスさまは私たちがそれを全うできるように、父なる神の前に絶え間ないとりなしをしてくださっているに違いない。最高のカウンセラーであられる聖霊さまも、私たちに必要な助言を与えてくださろうと、いつでもスタンバイしておられるに違いない。そして、ぼぼるパパが深い愛情をもってエミを見守っているように、御父も私たちのことを、一瞬たりとて目を離すことなく見守っておられるに違いない。

 「あなたがたが自分の身を聖別するなら、あなたがたは聖なる者となる。わたしがあなたがたの神、主である。あなたがたは、わたしのおきてを守るなら、それを行なうであろう。わたしはあなたがたを聖なる者とする主である」(レビ20:7、8)

 今まで何となく突き放されているように感じていたこの箇所が、突然違うニュアンスをもって迫って来た。神さまの側の深い愛と関心、involvment が見えた。

 この時心に感じたことをエミにも分かち合い、そして二人で祈った。S君が今回のことをきっかけにキリスト教に興味を持つようになり、神さまのことを求め始め、そしてイエスさまを見出すことができますようにとも祈った。

 主よ、あなたの祝福が、この子のうえに豊かにありますように。

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