ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

人のかたちをした空洞

 よく、人の心の中には神さまのかたちをした空洞があり、それは神さまによってでしか埋められないと言う。本当にその通りだと思う。しかし今日の礼拝のメッセージで、人の心には神さまの形をした空洞に加えて、もう一つの空洞があると聞いた。それは、人のかたちをしていて、人によって埋められるようにと神さまがデザインし、御自身ではあえてそれを埋めることはなさらない空洞だと言う。
 神さまがこの世を創造された時、それらをご覧になって一つひとつを「よし」とされた。しかし、創造のプロセスの中で、初めて神さまが「良くない」と言った時があった。それは人が一人しかいなかった時だった。

 神さまは、父、子,御霊の三位一体の中で、常に関係のうちに存在しておられる。そして、神の似姿に造られた私たちもまた、関係の中に存在するようにデザインされている。神との関係によって神さまの形の空洞を埋め、人との関係によって人のかたちをした空洞を埋めるまでは、私たちは欠けたままでwhole に感じることはできない。

 こんな統計があるそうだ。自分の人生には大切な人間関係があると言う人の方が、そのような人間関係を持たないという人よりも何年も長生きする。さらに、よくエクササイズし、睡眠を取り、食生活に気をつけ、しかし大切な人間関係を持たない人よりも、特に健康に気をつけた生活はしていないけれど、大切な人間関係を持つ人の方が、数年長生きする。「愛する人とジャンクフードを食べて暮らす方が、独りぼっちでブロッコリーをかじっているより長生きできるってことでしょうかね」とパスターは笑いながら言った。(そういえば、箴言には似たような御言葉あるね。肉を食べて憎み合うよりも、野菜を食べて愛し合う方がましだ、とか何とか。これはちょっと違うか。)

 また、チャック・スウィンドール師はこんなエピソードを語っていたそうだ。あるクリスチャンになって間もない人と話していたら、彼が「教会生活は確かに素晴らしいのですが、時々、教会がもう少しバー(酒場)みたいだったら良かったのにと思うのです」と言った。バーに通っていた頃は、そこで本当の自分を安心してさらけ出し、喜びでも悲しみでも心の底から分かち合うことができたのに、教会ではどうもそうはいかないのです、と。パスターは、「実は私の父も、まさに同じ理由で、教会よりもバーを60年間選び続けました」と言った。

 教会がもう少しバーのようだったらよかったのに… なかなか意表をついた発想だけれど、言いたいことはわかる。私たちの心には、人によって埋められるようにと神さまがデザインし、御自身ではあえてそれを埋めることはなさらない、人のかたちをした空洞がある… キリストのからだなる教会が私たちにとって、神さまのかたちをした空洞を埋めるために神に出会うだけでなく、人のかたちをした空洞をも埋めるために、人々とも真に出会える場所でありますように…

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