ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

申命記

 ミクシィでやってるJCFNの聖書通読が、数日前から申命記に入った。申命記は聖書66巻の中でも私が大好きな巻の一つ。
 「申命記」という名前は「重ねて命ずる」という意味から来ているらしいが、私には「To speak of Life」という意味のようにも受け取れる気がする。(もちろん、完全に私的な印象だけど。)内容的には多くが出エジプト記民数記などに記されてきた戒めの繰り返しだが、今までに与えられた命令をまとめたという以上に、私たちが「神のいのち」によって生かされて生きるにはどうしたらいいのかを記している書物のように思える。
 そして申命記で語られている神の命令は、そっくりそのまま、語っているモーセが荒野での40年の試みを通して主をさらに深く知り、そのお方によってここまで生かされて来たことによる彼自身の証にもなっているかのようだ。神の言葉であると同時に、モーセ自身が肌身を通して学んだことであり、彼の一部になっている… 先日のパンの比喩で言うなら、石の板に書かれた神の言葉が、モーセの中で練られ、醗酵され、焼かれ、芳香を放つパンとなった、と言うか… 同じ戒めでも、先の書で読んだ時より、言葉の一つ一つにずっと説得力がある気がするのは、私だけだろうか?
 主よ、あなたが語られるお言葉の一つ一つが、紙に書かれた言葉のままではなく、私の中で生きたいのちとなりますように。私の全身を流れる血となり、私の全身を立て上げる骨肉となりますように。

 「私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」30章19節

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