ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

悲しい出来事

 今週、テネシー州セルマーという町で、チャーチオブクライストの教会の牧師さん(31歳)が妻によって銃で撃たれ、殺害されるという悲惨な事件が起きた。妻はFirst degree murder、つまり計画的殺人として起訴された。

 彼らは去年の二月にこの教会に就任したばかりで、夫は三代続いた牧師家庭の出身。二人には8,6、1歳の可愛らしい三人の女の子がいて、周りの人たちは彼らを「理想的な夫婦」、妻を「完璧な妻、完璧な母親」だと思っていたそうだ。
 殺害の動機はまだ明らかにされていないが、不貞が関わっていると思うかという記者からの質問に対して警察は「ノー」と答え、夫による虐待の可能性は?との質問にはノーコメントだったらしい。
 二人の間に何があったか現時点では知る由もない。夫の側の問題だったかもしれないし、彼女の問題だったかもしれないし、誰のせいと言えるようなことではなかったのかもしれない。でも、家庭内暴力であろうと何であろうと、夫を殺そうと思うまでに何かが彼女を追い詰めたのには違いない。サタンによる霊的な攻撃もあっただろう。私は、牧師夫人なのに、クリスチャンなのに、とは言いたくない。彼らだって人間だから何かしら問題を抱えていたとしても不思議はない。何が悲しいと言って、そこまで彼女が追いつめられていたことを、教会の誰も知らなかったこと。いや、就任したばかりの教会で、しかも周りからは「完璧」と思われていたら、家庭内の問題を教会の人に相談できなかったのは無理もないかもしれない。周りは彼らはすぐに新しい環境に馴染んだと言っているらしいが、彼女はやっぱり孤独だったのかもしれない。でも、ならばその教会の人以外で、他に相談できる相手はいなかったのだろうか。信仰の友とか、祈りのパートナーとか、メンターとか… 彼女には信頼して打ち明けられる人、一緒に祈ってくれる人が誰もいなかったのかと思うと、泣きたくなるほど悲しく、胸が痛む。
 「牧師夫人」「完璧な妻」「完璧な母」という看板を、好むと好まざるとに関わらず背負いつつ、彼女は一人でどれだけ苦しみ悩んでいたことだろう。主にある家族、共同体の一人が、それが牧師や牧師夫人であっても、傷つき痛んでいる時、本来ならこんな時こそ互いに助け合い、支え合い、祈り合い、励まし合うのがキリストの身体であるはずなのに、それが機能していなかったことが悲しい。キリストの身体が痛んでいることが悲しい。

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