ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

ダビデのBrokenness

 アブシャロムに攻撃されることを恐れてエルサレムを脱出したダビデ、旅の途中でサウルの家の一族の男に出会う。その男、シムイは、ダビデやダビデの家来たちに石を投げつけ、彼らを罵倒し、呪った。

すると、ツェルヤの子アビシャイが王に言った。「この死に犬めが、王さまをのろってよいものですか。行って、あの首をはねさせてください。」
王は言った。「ツェルヤの子らよ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ。』と言われたからだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするのだ。』と言えようか。」
ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。
たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」
(第二サムエル16:9−12)

 この箇所のダビデ、彼の心が本当に砕かれているのがわかる。

 神様がダビデを見て喜ばれたのは、まさにこのbrokennessなんだろうな… 砕かれた心は、自分の名誉を求めない。誤解されようが罵倒されようが非難されようが、自分が神の前にはちりにしか過ぎない存在であることを知っているので、かえって動じることがない。ただ主の御前に身を低くする。そして、自分のいのちを、ただ一人恐るるべきお方である、全能者の御手に委ねる。

 神様が人をご覧になる時、何よりも価値を見出されるのが、正しい行ないよりも、判断力よりも、実行力よりも、業績よりも、何よりも、その心が砕かれていることであるならば、どんな罪人にも希望がある。どんな敗北者にも、失敗者にも、弱者にも希望がある。

 主よ、私もあなたの御前に、ただ心砕かれた者でありたいです。私にも、ダビデのbrokennessをお与えください…

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