ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

Being

 バアルの預言者たちを前に大勝利を得たあとで、鬱状態に陥ってしまったエリヤ(第一列王記19章)。そんなエリヤに対して神さまは御使いを通して「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と励ましてくださった。
 この箇所に関して、めぐんちゃんが「神様にとって私たちは、御心を行って栄光を現している時だけ大切な存在じゃなくて、ボロボロになって何の役にも立たないときでも大切」とコメントしていて、それを読んで胸がジーンときた。神さまが私たちを愛してくださるのは、主の役に立つとか立たないとか、私たちが何をしたとかしないとか、ほんっと、私たちの行ないは関係ないんだよね。神さまにとって大切なのは、私たちのbeing。霊的な面だけでなく、感情面でも精神面でも肉体面でもすべてを含めて、私たちのbeingそのものを愛し、ケアしてくださる。

 エリヤはその後、四十日四十夜歩いて旅をして、ホレブの山までたどりつき、そこでほら穴に入って一夜を過ごす。おそらく相変わらず落ち込んだ状態だったのだろう、「ここで何をしているのか」という主の言葉に対して、私は主に熱心に仕えていたのに、預言者はみんな殺されて、私も殺されかかっています、みたいな否定的な返事をする。それに対して神さまは、エリヤにまず主の御臨在を示された。これといった納得のいく答えを与えるのでなく、まず、主の御臨在を示された。
 めぐんちゃんも「『なんでこんなことになってしまうんですか?』という問いかけに、往々にして答えは与えられない。その質問の返答の代わりに、神様は不思議な方法で御臨在を現して下さる。そしてその愛と栄光を目の当たりにして圧倒されているうちに、不思議と問題が問題でなくなっていることがある」とコメントしてくれていたけど、まったくアーメン!
 私たちにとっても、何よりも大切なのは主のBeing。主の御業は素晴らしい。主のお言葉も私たちには不可欠。でもそれにもまして、ただ主がそこにいてくださること、主の御臨在に勝るものは何もない。私たちが主の御臨在にふれる時、すべてはそこから始まる。

 (めぐんちゃん、転載許可、ありがとう!)

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