ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

処女であるシオンの娘

 ユダはただ主の憐れみによって敵に滅ぼされることもなく王国が続いていたのに、北イスラエルにならって偶像崇拝に堕ちてしまっていた。しかしヒゼキヤが王位についた時、彼はそれまでのいまいち中途半端だった王たちとは違い、「すべて父祖ダビデが行なった通りに、主の目にかなうことを行なった。」(第二列王18:3)民が勝手きままに礼拝を捧げていた「高き所」も取り除き、偶像を打ちこわした。そしてヒゼキヤは主に堅くすがって離れることがなく、主がモーセに命じられた命令を守ったため、主は彼とともにおられた。どこへ出陣しても勝利を収め、当時の大脅威だったアッシリヤにも反逆した。
 しかしアッシリヤはユダに攻め込み、イスラエルの神を冒涜し、ヒゼキヤを嘲笑し、挑発した。追いつめられたヒゼキヤは、主の前にへりくだり、助けを求めて祈った。(19:15−19)
 そして主は、そんなヒゼキヤの祈りに応え、アッシリヤの陣営18万5千人を一夜にして撃ち殺された。ただ主により頼む者に対して、主が現してくださる御業はこんなにも鮮やかで力強い。
 それだけでも十分感動的なのだけれど、ここで、JCFNのシモベ主事が、素晴らしい指摘をしてくださった。

もっと感動なのは、21節で、主がアッシリアに向かって、ユダを「処女であるシオンの娘」と呼んでいること。

「姦淫の女」「遊女」と、預言者を通してユダやイスラエルに呼びかけていた主は、それでも、アッシリアに向かっては、ユダを「処女であるシオンの娘」とよび、自分の選びと所有を明らかにする。

神様の計り知れない愛は、本当に私たち罪深い人間を「きよい」と言ってくださる愛。
主は私達には罪を指摘し悔い改めを迫る方。しかし、敵であるサタンに対しては、「私は彼女の中に何の非も罪も認めない。」と宣言してくださる方。

 ああ、もう、涙。 何という愛。何という憐れみ。何という恵み。敵が何と言って私たちを責め、嘲り、貶めようとしても、主は御自身のお言葉をもってそれをはねのけてくださる。主は、罪には確固として対峙し、なぁなぁでは済まさない厳しさも持っておられるけれど、それは決して責めるための厳しさではなく、私たちを建て直すため。

おとめイスラエルよ。
わたしは再びあなたを建て直し、
あなたは建て直される。
再びあなたはタンバリンで身を飾り、
喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。
(エレミヤ31:4)

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