ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

リフレクション集会

 CC期間中の日曜日の朝、リフレクション集会が持たれた。(正式名称はちょっとはっきりしないのだけど…)これは、CC直前になって神さまから示され、急遽プログラムの中に組み込まれたもの。
 去年このブログにも書いたけれど、第二回CCの準備委員長だったN子姉が、昨年秋ガンで天に召された。また、今年始めにテネシーで持たれた日本人伝道集会で、たった一人イエス様を受け入れて救われた青年が、CCの二週間前に事故で亡くなられた。身近な人の死に直面するとき、いくらその人は主のみもとに行ったのだと頭では理解していても、しばしば私たちの心はついていかない。うなずけない。私たちの葛藤や痛みは、時間の流れと日常生活の営みの中で次第に薄らいではいくものの、それが完全に処理されないままで心の奥底に沈んでいるなら、そのことを私たちはどこかで知っている。ちょうど、濁った水が、動かさないでそっとしておけば次第に澱が底に沈んで水がクリアになったように見えても、かき回せば再び浮かび上がって水を濁らせてしまうように、私たちの心も、持って行き場のないままの思いが底に沈んでいるなら、それがいつまた心全体を濁らせるかわからない。そのような心の痛みや葛藤を、隅に押しやったり隠したり見て見ぬふりをするのでなく、神さまと、主にある兄弟姉妹の前でありのままを認め、外に出し、思いを巡らせながら聖霊さまに取り扱っていただこう… それがこのリフレクション集会だったのだと思う。
 もっとも、実際にやってみるまでは聖霊さまがこの集会をどう用いられるのか、準備している側にも未知数だった。ただ、主が私たちを促し、導いておられることはわかったし、短いながらもこの時間を用いて主が大切な働きをなさるのだということもわかった。自由参加だったこの集会の中で、皆が皆、同じように語られたり感じたりしたわけではなかっただろう。ある人は、この時を通してブレイクスルーが得られたと聞いているし、癒しと解放に向かってようやく一歩を踏み出せ始めた人もいたかもしれない。これまでの辛い経験を通して主がなさってくださったことをもう一度思い起こして、主の真実を確認できた人もいたかもしれない。主が一人一人に対してなさってくださったことは今はまだ測り知れないけれど、一回きりのことではなく、今後も継続して続けられるべき何かが始まったような気もしている。

I believed, therefore I have spoken, "I am greatly afflicted." Ps. 116:10


 主と、主にある愛する兄弟姉妹の前で、生々しい自分の思いや砕かれた心を吐露できるということも、一つの信仰告白であり、主が受け入れてくださる一つの捧げものの形なのかもしれない。この後さらに続けられていくに違いない主のお働きの一つの重要な通過地点として、今回の集会を持たせていただいた事を感謝しつつ、さらなる主の御業に期待する。

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