ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

無神論者との対話

 先々週の日曜日の礼拝に、Hemant Mehta(ヘマント・メサ)という無神論者の青年が招かれ、壇上でパスターと対話をした。Hemantは無神論者として全国規模で積極的に活動している数学と生物学を専攻する大学院生で、去年の秋、eBayで自分の時間をオークションにかけ、勝った人の教会に1時間10ドルで行くと宣言したらしい。なぜそんなことをしたかというと、キリスト教信仰については通り一遍のことを知っているだけなので、教会という場所が本当に自分がイメージしているようなところなのか、クリスチャンの信仰とはどういうものなのか、少し探索してみたいと思ったらしい。eBayではジム・ヘンダーソンというシアトルの牧師が500ドルほどで彼の時間を競り落とした。彼はHemantを自分の教会に来させる代わりに、シカゴ近郊にあるさまざまな教派教団の教会ーーカトリック、バプテスト、黒人教会、ウィロークリーク、その他もろもろーーに送り込んだ。その時彼が送られた教会の一つに今私たちが行っている教会があり、うちのパスターは彼をいたく気に入り、今回彼をもう一度招いて、公開ディベートならぬ、公開ダイアログを行なうことになったようだ。ディベートや議論ではなく、ダイアログ(対話)というのがポイント。
 Hemantはとても頭が切れ、雄弁で、礼儀正しく、ユーモアのセンスもあるフレンドリーな青年だった。ダイアログは、パスターとHemantが互いの信仰や信条について質問をし合い、それぞれに答え合うという形式で行なわれた。二人とも、相手を説得しようとか言い負かそうとかいうのではなく、相手の考えていること、信じているものがどういうものなのかを真摯に知ろうとしていた。また相手の質問にもできる限り答え、うやむやに相手の言葉に迎合することなく、分からないことには分からない、同意できないことには同意できないとはっきり言い、とても建設的かつ見ていて気持ちの良いやり取りだった。Hemantの頭の良さと雄弁さには目を引かれるものがあり、二人のやり取りを「議論」と見るなら明らかにHemantの方が優勢だったと思う。しかし私としては、まずパスターの真摯さに感動した。教会員一同が見守る中、いくら「対話」とは言え、頭脳明晰でディベート慣れしている無神論者相手に自分の信仰を説明するって、決して容易ではなかったと思う。ヘタをしたら、教会員に「うちの牧師は頼りない」とか、さらには「やっぱり無神論者の言うことの方が正しそうだ」という印象を与えてしまうリスクもあったのだ。よほど霊的にも感情的にも成熟したセキュア(secure)な人でないと、こういう冒険はなかなかできないと思う。もちろんHemantだって、数千人のクリスチャンが見守る中、たった一人無神論者としての自分の考えについて語るなんて、とても勇気のいることだったと思う。でも彼は少しも攻撃的にも防御的にもなることなく、非常に明解に彼の考えや信念を分かち合ってくれた。彼にも心からの敬意を表したい。
 パスターが今回の対話で成し遂げたのは、無神論者の疑問や反論に論理で対抗し相手を納得させることではなく、たとえ自分とは信仰や考え方がまったく違う人とであっても、敬意と誠実をもって相手に関心を示し、心を開いた対話をするとはどういうことかを、その場にいた人たちに実地で示したことだった。クリスチャン同士であっても、神学的立場が違ったりすると冷静な議論ができなくなる人は少なくない。見る人がつまずきそうな陰険なやり取りがなされることだってある。しかし、パスターとHemantのやり取りにはまったくそういうところがなかった。
 ぼぼるパパは時々、クリスチャンの学生から、ノンクリスチャンの級友や教授に信仰と科学について聞かれたり、議論になったりしたらどのように対応したらいいのですか、と聞かれることがある。こういう学生たちは恐らく、神学的にも科学的にもどのように理論武装すれば、言い負かされることなく相手を説得できるのかを知りたいのだろうが、ぼぼるパパの答えはいつもこうだ。議論に勝つことで相手の魂を主のために勝ち取ることはまずできない、攻撃的になるのではなく、防御的になるのでもなく、真摯に自分の信じるところを呈示し、そして相手の言い分に耳を傾けよ、人がイエスを主と告白できるのはただ御霊によるのであり、私たちは御霊に働いていただくための場所を提供するだけなのである、と。パスターがやってみせてくれたことは、まさにそれだったと思う(進化論対創造論に関するやり取りだけは、残念ながらちょっとそうじゃなかったケド)。私も見ていてとっても勉強になった。主のジェントルで恵みに満ちた御霊が、その場を満たしているのが感じられるかのようだった。
 Hemantが今後クリスチャンになるかどうかはわからない。神様は彼にも自由意志をお与えになったのだから。しかし今回、彼がキリスト教信仰に触れてみるためにeBayで自分の時間をオークションにかけたというのも、実は聖霊のなせる御業だったのかもしれないと思うのは、私だけだろうか?

 ちなみに、Hemantについての短い記事が最新号のカリスマ誌に掲載されている。次号のクリスティアニティー・トゥデイ誌にも出るそうだ。


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