ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

Day of Healing

 昨日は、インディアナ州ワバシュという町で開かれた、Day of Healingという一日コンファレンスにぼぼるパパと二人で行って来た(ワバシュ・フレンズ・カウンセリングセンター主催)。メイン講師は、『バウンダリーズ』の著者の一人であるジョン・タウンゼント博士。午前と午後に一回ずつタウンゼント博士によるメインセッションがあり、他には30あまりの分科会があって、そこから二つ選んで参加できるようになっていた。1000人近い参加者があり、田舎町で開かれていたわりには結構充実した大規模なコンファレンスだったので驚いた。
 うちからワバシュまでは車で3時間近くかかるので、8時半のレジストレーション開始時間に合わせて5時半に家を出た。住宅地を出て1時間も車を走らせると、とんでもない田舎の景色が地平線まで広がる。アメリカって、ほんとに土地があり余ってるね。途中で朝食休憩のために寄ったマクドナルドで、イリノイとインディアナでは時差が1時間あることに気づき、あと一時間半あるつもりが、30分しかないことになり、あわてた。結局ちょっと遅れちゃったけど、タウンゼント博士の講演には間にあった。

 午前中の講演の後、先生のところに行って挨拶し、ぼぼるパパを紹介すると、先生は「おやまぁ! シカゴからわざわざ来てくれたんだ!」と、とても喜んでくださった。そして午後のプログラムも全部終わったあとで、40分ほどゆっくりと近況報告などをして3人で良い交わりの一時を持つことができた。"良い交わりの一時"と言っても、「久しぶりだね! 元気にしてた?」「はい、元気でしたー!」というような、表面的な交わりではなく、自分の中で霊的にも感情的にも生活面でも意味のあった出来事や、現状など、決して見栄えのいいものばかりではないけれど、本当に大切なこと、意義のあることについて正直に、リアルに分かち合うような交わり。恵みと真理が自由に、豊かに、差し出されるような交わり。

 ただし、こういった交わりや分かち合いは、誰とでも相手かまわずできるというものではない。昨日の先生の講演の中でも話されていたけれど、そういった交わりの相手にふさわしいのは、

  1. 安全な人:他者の弱みや暗闇の部分をきいても、責めたり裁いたりしない人。 分かち合われたことをペラペラ他の人にしゃべったりしない人。健全な境界線を持っている人
  2. 痛みに共感し、話し手が自分の痛みを感じ、それを表現することを促してくれるような人:「主に委ねれば大丈夫」と一言で終わらせてしまうのでなく、「あなたの話をもっと聴かせて」と言ってくれる人。泣く者と共に泣き、喜ぶ人と共に喜んでくれる人。
  3. 正直なフィードバックをしてくれる人

 私の人生の中に、決して多いとは言えないけれど、こういった人たちが何人か与えられていることを思い、主に感謝する。そして、私自身もまた、他の人たちに対してこのような存在であれたらと思う。そのように主が私を成長させ、成熟に導いてくださることを願う。

 そういえば、分科会の一つの中で、あるカウンセラーがこう言っていた。「『関係』を持たずに真理だけ語るなら、パリサイ人になる。
 聖書の中の「愛をもって真理を語る」という御言葉はとても有名だけれど、それが具体的にどういうことなのか、なかなか理解しきれていなかった。しかし、この言葉を聴いて妙に納得してしまった。愛とは、関係の中にのみ存在し得る。そして、関係を持つとは何らかのリスクを負うことでもある。真理を語ることそのものが愛なのだ、愛があればこそ真理を語ってあげるのだと言って、関係を持つことはなしに「真理」だけをポンポン語る人もいるけれど、やはりそれは、聖書の言う「愛をもって真理を語る」こととは違うのだ。真理とは、関係の中で語られてこそ、癒しや成長や解放をもたらすことができるのだろうな。

 そういうわけで昨日は、Day of Healingの名にふさわしく、とても有益な一日でした。

 余談だけど、金曜日の晩は、タウンゼント先生が乗る予定だったシカゴからインディアナのラファイエットまでのフライトが悪天候のためキャンセルになり、先生はシカゴからはアムトラック(電車)に乗って来たそうだ。うわー。到着したのが夜中の1時過ぎで大変だったとか… カリフォルニアに戻るのは今日だと言ってたけど、今日はちゃんと飛行機が飛ぶといいね。

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