ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

中村家のイブイブとイブ

 昨日は冬休み第一日目。久しぶりに朝はみんなゆっくりした。学校がある時は、エミは毎週土曜日に弁論部のトーナメントがあって朝6時半までに学校に行くのだけれど(送っていく親も大変!)、昨日は数ヶ月ぶりにのーんびりした朝だった。午後からは、シカゴJCFNの仲間たちとウィロークリーク教会のクリスマス礼拝に。その後は、近くのモールの中にある、Todaiという食べ放題の日本食系のレストランに繰り出した。
 ウィロークリークのクリスマス礼拝は、前半40分くらいが歌とダンスとお芝居とサーカスみたいなパフォーマンスの組み合わせによる前衛的な(?)クリスマスストーリー、それから短くてシンプルなメッセージと会衆賛美を数曲。個人的には、「礼拝」というよりも、ホリデーシーズンに家族を連れて観に行くのにちょうど良いwholesomeなエンターテイメント、という感じだったかな。パフォーミングアーツが好きなうちの子供たちはとても喜んでいた。
 会場はほとんど満員で、私は隣に座っていたおばあちゃんとなぜだか礼拝中に仲良くなった。二人でヒソヒソおしゃべりしたりして、とても良い時間を共有することができた。名前を聞くことすらなかったのだけど、別れ際、お互いに手をギュッと握りしめ、ハグをして、祝福を祈り合った。
 礼拝が終わると、レストランの予約の時間に遅れないようにするために私たち家族はすぐに教会を後にしたのだが、車を動かし始めてからぼぼるパパが、「あっ! 携帯落としてきた気がする」と言い出した。「どこに?」「教会の座席のところ」「うそー」「今から取りに戻るのも大変だから、後で教会に電話して訊くよ」 ショックを受けつつ、私の携帯から試しに彼の携帯の番号をかけてみると、「ハロー?」と誰かが出た。「ハロー?」「ハロー? あのう、これ、座席に落ちてたんですけど」「そうなんです!私の夫が落としたんです。あなたは今どこにいますか?」「まだ座席のところにいます」「申し訳ないですが、ちょっとそこで待っていてもらえませんか? 私たち、もう教会を出ちゃったんですけど、私の友人がまだそこにいるかもしれないので」「もちろんいいですよ」 拾ってくれた方が親切な人で良かった。大急ぎでヤスに電話して今どこにいる?と聞くと、まだ会堂にいるという。事情を話して、その男性を見つけて、無事にぼぼるパパの携帯を回収してもらった。あれだけの人出の場所で携帯を落として、無事に戻って来たなんて、奇跡的だと思った。いやー、良かったあ。拾ってくれた方にもう一度お礼を言いたいところだったけれど、もはや連絡のつけようもなく… その方の上に主からの格別な祝福がありますようにと祈った。 
 Todaiでは思い切り満足いくまで食べました。多分私が大食い大賞(?)だったかも。みんなから「(その身体の)どこに入るの?」と呆れられた。(笑)みんな、食べて食べて、もう苦しくて動けないね、というくらいになってから、なぜだか話題が体脂肪率やダンテの「神曲」に出てくる「7つの大罪(そのうちの一つが暴食)」のことになり、クリスマスが終わったら運動しなくちゃねー、と互いに励まし合ったのでした。
 そしてクリスマスイブの今日は、午前中は家族でクリスマスストーリーとキャロルの時間を持った。まず2曲ほど賛美歌を歌い、それからぼぼるパパがルカの福音書からクリスマスストーリーを読む。今年はこれに加えてヘブル2:14−18も読んで、受肉の話をした。単に「ハッピーバースデー、ジーザス!」ではなく、なぜイエス様が肉をとって人となられてこの世に来てくださったのか、子供たちにも考えて欲しかったから。そしてさらに数曲賛美歌を歌い、お祈りをして、それからケンスケお待ちかねのクリスマスプレゼントの時間。プレゼントを開ける前には、これらのプレゼントは神様が最高のギフトとして私たちに御子イエス様をすでに与えてくださっていることのシンボルでありリマインダーであることを覚えた。
 夕方からは、教会のキャンドルライト礼拝。普段の倍以上の人たちが来ていた様子。帰って来てから遅めの夕食。

 中村家は、賑やかなようで、静かなクリスマスです。
 

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)