ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

ケンスケの誕生日パーティー/教会のこと

 ケンスケのパーティーは大成功に終わり、ほっと一息。(今日のケーキはベーカリーでオーダーした遊戯王のケーキ。)今まで子供の誕生日パーティーは何度もやってきたけれど、必ずしも毎回こんなに成功するわけではない。今回は人数もちょうどよかったし、会場も平日だったために空いていて気持ち良く使えたし、何より、子供たちがボーリーングとレーザータッグとアーケードゲーム(ゲームセンター)で大いに盛り上がってくれた。また、ゲストの御家族の中には何組か、別のレーンで自分達でもボーリングを楽しんでいた人たちもいて、なごやかでとてもいい雰囲気だった。パーティーのホステスをしてくれた担当の人も、とてもよくやってくださったので帰り際にはチップをはずんだ。ま〜やは自分の誕生日パーティーもここでやりたいと言っている。うん、それがいい、それがいい。(^^)
 それにしても、私が若い頃は(^_^;; ボーリングと言えば自分でスコアをつけないといけなかったものだけど、今は全部自動的にスコアがつくので、簡単でいいネ。ま〜やが案外上手で、何度かストライクを出していた。こんなところにこの子は思いがけない才能があるのかも(親ばか)。今度また家族で来よう。





             ***
 昨日タミーからメールがあった。彼女も教会のことで随分悩んでいたのだが、ついに我慢しきれないような出来事が起き、よその教会に移ることにしたという。パスター夫妻との関係が最悪になってしまったそうだ。タミーの話では、パスターの方から辞任を言い出すか、役員会から辞任をお願いするか、教会員による信任投票をするか、どれかになるのは時間の問題だと言うことだった。
 今日のパーティーにはタミーの子供も呼んでいたので、パーティー後、しばらく二人で話をした。タミーが分かち合ってくれた話は、残念ながら痛々しく醜いことで(タミーがではなく、この状況が)、とても心が痛んだ。四年前の悪夢が思い出される。わずか四年でまた同じようなことを繰り返しているなんて、本当にパスターの問題なのか、それとも教会員の側に問題があるのか、あるいは両方なのか、私にはよくわからない。
 私とぼぼるパパは、約四年前、この教会で前パスターの辞任と教会分裂という心の痛む状況のさなか、ワーシップリーダーに召されて二年半その役目を務めた。しかし、いろいろいろいろあって、ぼぼるパパの判断でおととしの秋にワーシップチームを辞任し、その数ヶ月後には教会も変わった。
 ワーシップチームの辞任に関しては私も異存はなかったのだけれど、教会を変わることに関しては二人の間でももめにもめた。それでも、ぼぼるパパが神様から委ねられた家長としての権限を行使して、半ば強引に私たち家族を他の教会に移した。今にして思えば、それはまるで、ソドムとゴモラからロトとその家族が間一髪で助け出されたのに似ていたかもしれない。私もロトの妻の同じで、はっきり言って、去り際には振り返ってしまった。塩の柱にこそならなかったけれど、素直に夫の判断を受け入れられなかったことで、私自身、相当苦しい思いをした。
 しかし、新しい教会の仲間たちやその他のいろんなことを通して、神様は私の心を取り扱ってくださった。また、私には見えていなかったことをしっかり見据え、私には聞こえていなかった神様の御声をしっかり聞き取って、家族を教会内のさらなるトラブルから守り、安全な場所に連れ出してくれた夫には、心から感謝している。去年の私の霊的状態では、再びこのような教会内の混乱を通り抜ける強さは到底持てなかったと思うから… 全てをご存知で、すべてを治め導いておられる神様の前にただただひれ伏す。
 それにしても、私にとってこの教会は、日本の母教会に次ぐ第二の母教会のようなもの。この教会の人たちは、私にとって文字通り家族同然だった。それがこんなふうに散り散りになったり、痛みの中を何度も通らなくてはならないのは、とても辛い。よほど大きな変革が早急になされない限り、経済的にも、教会としての存続はせいぜいあと半年くらいがやっとらしい。ハデスの門でも打ち勝てないはずの神の教会なのに、どうしてこんなことが…と思う気持ちがある。一方で、しもべが立つのも倒れるのもその主人の心次第であるように、教会が立つのも倒れるのも主人の心次第なのだろうとも思う。というか、神様にとって名前と建物が伴う組織としての教会の存続はそれほどbig deal ではなく、きっともっと別のことをご覧になっておられるのだろう。
 今後どのような展開になるのかわからないが、それぞれの心の頑さが砕かれ、主の全能の御手の前にへりくだって主のお取り扱いを受けることができますように。たとえその時はどんなに辛くても、それが私たちにとってベストなのだから。

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