ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

復活祭の週末/アザゼルのやぎ

 金曜日はグッドフライデーで子供たちの学校はお休みだった。キリスト教の祝日だけど、公立の学校も休みになる。(ちなみに、ユダヤ教の祭日であるヨム・キプル(贖罪の日・Day of Atonement)も休日。)
 そこで昨日は、1ダースのゆで玉子をつくって、ま〜やとケンはカラフルなイースターエッグをつくった。そして玉子型とうさぎ型に抜いたクッキーも焼いて、パステルカラーのフロスティングで飾り付け。エミは一週間がんばって学校に行ったけれど、さすがに旅行の疲れが出たのか、昼過ぎまで寝ていた。みんは何をしてたのかなぁ。
 今日は、私たちが以前行っていた教会が主催したアウトリーチのエッグハントの手伝いに、子供たちを連れて行ってきた。各種ゲームが一時間、復活祭のメッセージが15分、エッグハントと賞品の授与が30〜40分くらい、というプログラム。聖書やトラクト、明日の復活祭礼拝のチラシなども配った。去年はお天気がよかったので200人くらい集まったけど、今年はあいにくの寒ーいお天気のせいか、100人も集まらなかったかも。ちょっと残念だったけれど、今日のメッセージを聞いた子供たちに蒔かれた福音の種が、大きく育っていきますように。
 エッグハントの後は、今行っている教会の復活祭礼拝に。復活祭までの4週間、ずっとレビ記からのメッセージで、今日は16章に出てくるアザゼルのやぎの話。というか、もちろんイエス様の十字架の話なんだけど。アロンに扮した男性と、本物のやぎも壇上に登場し、ビジュアルにもとても印象的なメッセージだった。

 アザゼルのやぎとは、英語の聖書では「スケープゴート」となっていて、現在でもスケープゴートと言えば他の人々の罪の身代わりとなって一人の人が責めを負わされることを言うが、まさにそのために使われるやぎのこと。「アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係の者の手でこれを荒野に放つ。そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ。」(レビ:16:21、22) 
 「これは年に一度、イスラエル人のすべての罪から彼らを贖うためである」(34節)とあるように、当時は年に一回なされることだったが、私たちにとっては、イエス様が最初で最後のスケープゴート、アザゼルのやぎとなってくださった。
 アザゼルとは、ヘブル語のアザル(「除く」)とエズ(「やぎ」)の複合語だそうだが、パスターが興味深い指摘をしておられた(他の教会の牧師さんから聞いたらしいが)。それは、ヨハネ19:15で、ピラトがイエス様を「さあ、あなた方の王です」と民衆の前に引き出した時、民衆が激しく叫んだ言葉「除け。除け。十字架につけろ」の、「除け」がヘブル語で言えばまさにこの「アザル」なのだそうだ。
 アザゼルのやぎがイスラエル人の宿営の外に出され、全イスラエル人の罪を背負って荒野に放たれたように、イエス様も門の外に出され、全人類の罪を背負ってゴルゴタの丘で十字架につけられた。

また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、 それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。
(ヘブル10:11−14)

このことを覚えながらあずかる聖餐式は、本当に感謝だった。

イエス様、私たちの罪のために、最初で最後のアザゼルのやぎとなってくださったことを感謝します。レビ記の記述と併せて考える時、あなたの十字架の上に私たちの罪がすべて負わされたのだということが、とてもよくわかります。あなたがご自身の身体という一つのささげ物によって、贖いの業を永遠に全うしてくださったことを感謝します。 あなたが私たちの罪の身代わりとなって流された血潮のおかげで私たちが赦され、あなたの復活のいのちに与って新しく生きるものとされたことを感謝します。

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