ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

Happy Father's Day!

 一日遅れ(日本では二日遅れ?)になってしまいましたが…

 今私たちが通っている教会では、毎年父の日は、男性を中心とした一種の伝道集会のような感じの礼拝を行う。普段は教会に来ない夫、お父さん、友人、同僚など、みんなが誘って連れて来るため、教会の中はいつもより男性の人口密度が高かった!? 教会の駐車場には、男性たちのお楽しみのため(?)さまざまなクラッシックカーやスポーツカー、改造車、そしてハーレイなどのオートバイが展示され、礼拝後にはホットドッグとポテトチップスと飲み物が無料でふるまわれていた。面白かったのは、展示されていた車はどれもボンネットが開いていて、中のエンジンを見せていたこと。私にはわからない世界だけど、車って、外観だけでなく、エンジンも興味の対象なのでしょうか…

 礼拝では、去年はハーレイに乗って壇上に登場したパスターだったけど、今年は、Mission Impossibleのテーマ曲にあわせて、天井からぶらさがったロープを伝って降りて来ました。もちろん毎週こんなクレイジーな(?)ことをしているわけではありません。年に一回だけです。(笑)
 そしてメッセージも、今回はいつもと違って、複数の男性が登場してパネルディスカッション形式で「父親」について語られた。登場したのはパスター(牧師家庭出身)、パスターのお父さん(ノンクリスチャンの家庭に育ち、自分は牧師になった)、副牧師(アルコール依存症の父のもとで育った)、副牧師の友人(子どもの頃に父親が他界した)、そして18歳の青年(子どもの立場代表)。
 男性が結婚し、父親となり、なんとか「良い父」であろうとする中で感じる葛藤。「夫」「父親」という立場の責任の重さを自覚しつつも、自分にとってロールモデルとなるような理想的な父を知らず、一人でもがいているかもしれない男性たちもいるはず。
 考えてみれば、父の日とか母の日って、私たちの中にいろんな感情を呼び覚ますものかもしれない。そしてそれは決して幸せで心温まるようなものばかりではないかもしれない。実際、「父親」なんて「悪夢」以外の何物でもないという人、父親不在の家庭で育ち、そもそも「父親」って何だかわからない人、男性でも女性でも少なくないと思う。(私自身、後者の範疇に入る。)彼らにとっては、神様を「良い御父」として見ることすら困難かもしれない。
 それでも、昨日いろいろな背景を持つ男性たちから分かち合われた話を聞きながら、「天の御父」と呼ばれる神様は、確かに良い父であるということ、そしてその御父のgoodnessは、神を知る人たちとの交わりの中で具現化され、私たちはそれを実際に見て、触って、聞いて、感じて、それによって私たちの人生を変えられていくことは可能であり、私たち自身もまた御父とつながっている時に、他の人たちの人生を変えるためのvehicleとして用いられることが可能なのだと、そんな希望と確信を感じさせられた。「お父さん」って、天の御父も、この地上の父親たちも、本当に素晴らしい存在なのだと、改めて感謝の思いが湧き上がった。
 昨日初めて、あるいは久しぶりに教会に来たという男性たちも、きっと神様を感じることができたと思う。彼らがこれからも続けて教会に来て、イエス様を主とし王とし友とする人生を見いだすことができますように。

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