ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

<s>思い煩い</s>

 今、エミに関する事で私の心の中にある思い煩いを、うだうだと書いていた。エミには最近悲しいことがあって、子供が悩んだり落ち込んだりしているのを見るのは、親としても辛いもの。
 でも、書いているうちに、若干自己憐憫に陥ってしまっていたかもしれない。エミは今こんなに可哀想な目にあっている、と書き連ねていたのだ。
 書き終わって、さあアップロードしようと思ったら、友人のタミーからメールが入った。夕べの夜中1時半頃、彼女の長男(19歳)が運転していた車が、突然火を噴いて炎につつまれたのだそうだ。幸い高速道路を降りた直後で、一般道を走っていたため、すぐに近くのお店の駐車場に入って車をとめ、そこから危機一髪で脱出できたらしい。タミーは、もし火を噴いたのが高速道路上だったらと思うとゾッとすると書いていた。本当にそうだ。主がこの青年を守ってくださったことに心から感謝。車は台無しになっちゃったのでこの後は大変そうだけれど、主の助けがありますように。タミーからのメールを読みながら、なぜだかわからないけれど、自己憐憫に陥っている暇などないぞと思った。そして、書いたものを全部消した。
 悩みというのは、客観的には大したことでなさそうでも、本人にとっては世界が真っ暗になるほど辛かったりするものだ。だからエミの悩みを「大したことない」で片づけるつもりは毛頭ないし、実際私がエミの立場だったら相当こたえると思う。だけど私まで一緒に自己憐憫に陥ってしまうようではダメだ。主にしっかり目を向けて、エミの気持ちに寄り添いつつ、大胆に主にとりなしていこう。

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル4:15、16)

私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。
あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。
万軍の神、主よ。
私にはあなたの名がつけられているからです。(エレミヤ15:16)

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