ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

神を敬う女性の服装

 夕べは、うちの教会で女性集会があった。テーマが"Unmasking Barbie -- How to be Real in an Artificial World--"で、ここ数年の私の個人的テーマとも一致しているので、最初にこの知らせを聞いた時からぜひ行こうと思っていた。
 まず、6時15分から食事。うちの教会のオートバイミニストリーの男性たちが給仕をしてくれた。(アーサー・ホーランド師みたいな男性が大勢いるんですよ。笑)行けば誰か知っている人がいるだろうと思って一人で出かけたのだけれど、会場に着いても誰も知っている人がいない! ややひるみつつ、空いている席に座って、同じテーブルの人たちと歓談。こうやって新しい人と知り合いになるのもいい。だけどうちの教会は大きいから、せっかく楽しく会話しても、もう二度と会うことはないかも…と思ったらちょっと変な感じだった。
 食事の後は集会。賛美、良かったねー。その後、ユースミニストリーのリーダーの女性が出てきて、私たちの服装について短い分かち合いをしてくれた。現代の若い世代の女の子たち(ローティーンくらいから)の服装を見ていると、私たち大人の女性が良い見本とならないといけないことを痛切に感じさせられる、ということがまず語られた。若い女の子たちはロールモデルを必要としており、私たちがその役割を取らないのなら、この世が彼女たちの基準や模範になってしまう、と。
 また、女性の服装というのは、目で見るものに刺激されやすい男性にとって不必要な誘惑やdistractionになりやすい(クリスチャン・ノンクリスチャンを問わず)ので、彼らのためにも慎み深い服装をするように気を配りましょう、という勧めがなされた。
 そして聖書が教える女性の「飾り方」についてもう一度御言葉から確認し、現代のこの文化の中で生きている私たちが気をつけるべき服装のチェックリストも。これがなかなか興味深かったのでちょっとご紹介。

  1. 両手をばんざいした時、おへそが見えたりお腹がスカスカするなら、そのシャツ、短か過ぎ!
  2. 気をつけの姿勢で立った時、中指よりもスカートやショーツの丈が短かったら、そのスカート(ショーツ)、短か過ぎ!
  3. 椅子に座った時、背中がスカスカするなら、そのジーンズ、ローライズ過ぎ!
  4. 鎖骨のあたりに親指がふれるように手を横にして胸に当てた時、襟のラインが手より下だったら、胸元が大きく開き過ぎ!
  5. 鏡の前に立って上半身を前にかがめた時(おじぎの姿勢)、鏡に映っているものがあなたが周りの人たちに見せているもの。ブラウスの中が丸見えになっていませんか? 要注意!

 こういった具体的なチェックリストは、決して律法主義的に理解されるべきではなく、あくまで私たちのawarenessをうながすものだと思うけど、なかなかよいガイドラインだと思った。
 しかし大切なのは、どこからはダメで、どこまでなら大丈夫なのかという、そう言う次元の問題ではなくて、

すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。(第一コリント10:23、24)

という問題なのだと思う。このへんのことについては、『あなたはどこに愛を探していますか』の中でも詳しく語られていた。第二章の、『律法主義か愛か』のあたり。

 それにしても、私たち大人の女性が若い女の子たちのロールモデルにならないといけないというのは、三人の娘を持つ母親として、まったく同感。派手な服装、濃いメイク、肌の露出度の高い服装、中学生がこんな格好をするのか!?みたいな服装で女の子達が闊歩しているのをいつも見かける。困るのは、この世のアイドル(ブリトニー・スピアースとか、リンジー・ローハンとか)やジーンズショップのモデルたちが慎みのない服装をして若い女の子に影響を与えている、というだけでなく、教会の中でも、婦人たちやYoung adultsの女性たちが(慎みの欠如という点で)この世と変わらない服装をしていて、それもまたティーンの服装に関する感覚に影響を与えているだろうということ。ユースグループの中高生のメイクの濃さや服装の慎みのなさにびっくりさせられることは少なくない。実際我が家でも、朝、学校に行く前のみんに、「そんな服装はいけません。着替えてらっしゃい!」と私が注意しないといけないことが時々ある。周りの子が皆そんな服装だから…といつも思っていたけれど、私がもっと率先して娘たちの良い見本にならないといけないと思わされた。
 ティーンの娘に「おしゃれをしちゃいけない」とはまったく言わないけれど(私だっておしゃれ好きだし!)、「つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾り」(第一テモテ2:10)とするとはどういうことなのか、母子で考えていきたい。
 
 この服装の話は、ゲストスピーカーのメッセージの前の「前座」のようなものだったのだけど、印象に残ったので書き留めてみました。

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