ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

夕べの感動

 夕べから、うちの教会で、ある神学校の教授を講師に招いてのエペソ書の学び会が始まった(全5週間)。それで、うちのスモールグループもその学び会に合流することにした。みんなでカープールして、約30分の道のりを、遠足みたいで楽しかった。(笑)
 学び会では、まず「聖書を読む時に役立つヒント」をいくつか教えてもらった。良いツールを利用しよう(コンコルダンスやバイブル・アトラス、『ハーレイの聖書ハンドブック』のような参考書、他)、5W1H(いつどこで誰が誰に何をなぜどのように)を意識しながら読もう、各巻が書かれた背景やテーマ、またその巻のジャンル(歴史、書簡、詩的、他)を知ろう、文脈に注意を払おう、接続詞(しかし、そこで、なぜなら、もし、他)に気をつけよう、解釈や応用を考える前に、書き手がそれを書いた時のオリジナルの意味や意図を知ろう…等々 前に行っていた教会でも、こういった、聖書の読み方・学び方を学ぶためのセッションがあって、とても役に立ったのだが、今回もよいリマインダーや新しい視点が与えられて感謝だった。
 その後は、いきなりエペソ1章に入るのでなく、まずはエペソという土地や、この書簡が書かれた時代背景についての解説。先生は、パウロの書簡を読む時は、「使徒の働き」に戻って、その手紙が書かれた背景や前後に起きていたことなどを確認すると良いとおっしゃっていた。なるほど!
 教えてくださった先生は、実はうちの教会のパスターの一人のお父さまで、結構な高齢。講壇から教えておられる時は権威を感じさせられたけど、終わってから参加者たちのテーブルに来て挨拶をしてくださった様子は、とても謙遜でフレンドリーだった。驚いたのは、座っている私たちと話をするのに、先生は床にひざをついて、私たちと目線のレベルをあわせてくださったこと。このくらいのお年になると、たいていの方は膝が弱ってきて、膝を曲げるというのは大変なことだ。高齢の方たちは、みなさんそう言われる。私自身、最近膝が気になるようになってきている。(汗)だから、高齢の先生が私たちと話をするために膝をつかれたことに、私はものすごく感動した。先生の知識以上に、そのにじみ出る品性に打たれてしまった。キリストの香りって、こういうことなんだろうなぁ。
 あっそれから、もう一つ、先生が何気なくおっしゃっていたことで心に残ったこと。私たちはしばしば、「律法を破る(break the law)」という言い方をするけれど、実際は私たちが破る(壊す)ものは、律法ではなく私たち自身なのだ、と。たとえば、親の言いつけに背いて二階の窓から外に出ても、私たちには重力の法則を破ることはできない。私たちはただ窓から落ちて、怪我をするだけだ。神の律法も重力の法則のように、神がこの地上での人間生活に対してお与えになった原則であり、それ自体は決して破られることはない。それに背くことで壊れてしまうのは私たち自身なのである…  

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