ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

リーダーシップセミナーのメモ

 とりあえず、セミナーでメモしてきたことを備忘録として書き留めておこう。

  • 霊的成長や霊の形成(Spiritual formation)とは、工場で品物を大量生産するかのように、これをすれば必ずこのような結果を生んでこのように成長できる、というものではない。一つ一つの成長は、神様によって手作りされるもので、そのプロセスはユニークなものである。私たちには、他者を成長させることはできない。できるのは、成長のプロセスを助けること。(実際に成長するかどうかは、神様とその人の間の問題。)
  • 成長の四つの段階:(1)信仰を持っていない→(2)「クリスチャンはこうあるべき」といった形式的・律法的なものによって支えられている信仰→(3)荒野・壁→(4)「ルール」よりも「関係」によって動機づけられ、内側にキリストのいのちが形作られることによって支えられる信仰。これらの段階は必ずしも一方通行ではなく、(2)と(3)、(3)と(4)を行き来することもある。
  • ウィロークリークアソシエーションが行なったリサーチによると、人が教会に求めるものとして一番突出していたのは、「Challenges to grow to next step」だった。ただ良い説教を聞くためでなく、ただ自分の居場所を見つけるためでもなく、変わりたい、成長したいという願いを持って人は教会へやって来る。
  • "Change or Die"というセキュラーの本によると、人は、たとえ自分の命がかかっていたとしても、そう簡単に変われるものではない。(たとえば、食生活を変えたり、禁煙しないと死ぬかもしれないという人でさえ、そう簡単には生活を変えられない。)しかし、精神病を持つ犯罪者たちでも、施設に入れられて新しい規律のもので生活を始めるなら、高い確率で更生に成功しているという例もある。つまり、人が変わるためには、自分が属するコミュニティーを変えることが必要。この点で、教会は人々の成長を助けることができるはず。 →霊的成長とコミュニティーの役割は、切っても切れない関係にある。
  • 成長とは、Vision × Intention × Means である。(「足す」ではなくて、「×(かける)」であるところがミソ。この三つのうちどれがゼロになっても成長できない。)
  • Intention(意図)は、成長しようとしている本人が持たなくてはどうしようもないが、教会(主にあるコミュニティー)は、「ビジョン」と「Means(方法)」において、成長しようとしている人を助けることができる。
  • 成長しようとしている人に、どうやってビジョンを抱かせるか。(1)どのようになりたいのか、共に語り合う。(2)模範を見せる。(3)一緒にやってみる。(4)成長の途中経過を互いに分ち合い、励まし合う。
  • 霊的成長のために役立つ方法(Means)。(1)霊的修練(聖書の学び、礼拝、祈り、告白、交わり、奉仕、黙想、一人になること、断食、節制などなど)。(2)グループでの体験(教会での礼拝。SGなどのコミュニティー、各種クラスや修養会など。(3)個人的な関係。メンター・メンティーのような関係や、個人的な主にある友情関係など。(意味のある会話、分ち合い、祈りなどなど)

 ダラス・ウィラードの『Renovation of the Heart』や、クラウド&タウンゼントの『How People Grow』や『スモールグループから始めよう!』から随分語られていて、納得するやら驚くやら。

 それから、ウィロークリーク教会は、かつては、日曜日の礼拝は未信者向け、週日の礼拝は信者向けの二本立てでやっていることで有名だったけれど、それを続けることは、教会に来る人たちにとっても、教会側にとっても、もはや現実的ではないということで("not sustainable")、廃止になったそうだ。なんでも、未信者向けと信者向けの礼拝を持つことは、コスト的にも労力的にも負担が大きすぎることと、近年教会に足を運ぶノンクリスチャンは、ただお客さんとして見ているだけでなく、「参加型」のものを求める傾向にあるのだとか… それで現在では、信者・未信者を分けない礼拝(というか、要するに信者向け)を土日に3回やっていて、週日にはバイブルスタディーなど成長の役に立つようなさまざまなクラスを持っているそうだ。
 未信者向けと信者向けに礼拝を分けるって、私としてはずっと違和感があったので、分けるのを止めたと聞いて納得。それにしても、今まで自分たちがやってきた方法(しかも、大きな成果があった方法)を、現状を再評価することによって大きく方向転換できるって、すごいことだと思う。私は特にウィロークリークに思い入れがあるわけでも何でもないけれど、こういうところはやっぱり偉いなと思った。

 もう一つ、どんどん成長する教会と、なかなか成長できない教会の違いは、「成長の4つの段階」モデルにヒントがあるかもと思った。4番目の段階のクリスチャンが多い教会は、牧師だけでなく、信徒たちが互いに他の人の成長も助けることができるので、教会としてもどんどん成長するだろう。一方で、2番目の段階のクリスチャンが多くて、そういう人たちが仕切っているような教会では、なかなか他の人の成長を助けることはできないし、せっかく4番目に到達している人もそのうち息が詰まってその教会を離れてしまったりして、それで教会として成長できないのかも…

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