ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

風邪気味/CSヘルプ/昨日の続き

 おとといの晩あたりから、夜中に喉が痛くて目が覚めるようになった。今日は全身がだるく、いかん、風邪をひきかけている様子。水曜日からは新学期が始まるというのに。(もっとも、早起きしてお弁当を作る、ということを除いては、学校が始まってくれた方が私は休めるかもしれないが。)
 夏の間、普段のCS(こっちではCSとは言わないけれど… 教会の子供プログラムのこと)奉仕者が休みを取れるよう、約160人のボランティアが4回ずつ交代でヘルプに入った。私は今日が3回目。2年生のクラスを受け持ったのだが、私と一緒にやるはずの人がなぜか現れず、一人で20人近くの小学2年生を教えるのは大変だった… 9月からはCSワーシップチームに正式に入る。リーダーのキャロルに惚れ込んだ(?)私は、もう少し彼女のリーダーシップのもとで奉仕してみたいと思ったので。
 さて、昨日の続き。今週末と先週末の二度にわたり、カリフォルニアからクラウド博士が来て「Necessary Endings」というタイトルでお話をされた。1回めの先週のお話はミスしたけれど、2回目の昨日はとても良かった。「Dr. Henry Cloud talks about times in life when something has to end, in order for something new to begin」
 神様が私たちに与えようとしておられる新しいもの、より良いものに向かって自分を開くためには、結ぶべき実を結んでいない生活や行動のパターンとなっていたもの(意識的であれ無意識的であれ)、これまで自分が握りしめていたものを、終結させないといけない時もある。終わりにすべき主なものはたとえば次の三つ。
(1)「行き詰まり」の期間
(2)自分が主にあって願う結果をもたらさないような行動、習慣、やり方
(3)自分の召命をまっとうするのに邪魔になっている人間関係(神様が、私にもっと時間をかけて欲しいと思っておられる人間関係を大切にするために、関わっているべきではない人との関係を終わらせる。これは人間関係の管理責任(stewardship)の問題)

 今自分がやっていることをよく吟味し、それらのことに時間や労力を投資し続けた時、半年後、1年後、5年後、10年後、20年後の自分はどうなっているかを考えてみよう…

 自分の普段の生活パターンを振り返って、考えてみる良い機会になった。実際、いろいろ思わされるところアリ。

 ところで昨日の礼拝では、ビル・ハイベルス牧師が司会を務められ、普通のアナウンスメント(「礼拝の後は〜〜があります」みたいな)まで全部彼がされていたのにちょっと驚いた。

 

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