ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

どうすることもできない自分〜ケンスケ編

 昨日のキッズチャーチの学びは、「良い態度を持つ!」というテーマだった。先生用の教材にはこう書いてあった。

レッスンゴール:自分たちに起きることはコントールできないけれど、どういう態度を持つかは自分のコントロールの範囲にある。いかなる場合にも良い態度を持つよう選択することについて学ぶ。
メインポイント:I Will Have A Good Attitude, No Matter What!
バイブルストーリー:牢獄の中で歌ったパウロとシラス(使徒16:16−20)
暗唱聖句:ヤコブ1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

 1週間前に送られてきた今週の担当者たちへのメールには、「今週の学びは、大人にとってもチャレンジだと思います。主を仰ぎ、子供たちと共に学ばせていただきましょう」とあった。まったくその通りだ。

 教会からの帰り道、車の中で今日の学びについてケンと復習。レッスンで見たビデオの中に、弟がお母さんにミルクシェークを買ってもらったのを見て、兄が「ずるい!僕もミルクシェークが欲しい〜!」と駄々をこねる場面があった。それがいかにもわが家でもありそうなシチュエーションだったのがおかしくて、ケンと二人でウケていた。ケンも、「DVDに出てきたお兄ちゃんは、すごくsillyだったよね。僕はちゃんといつも良い態度を取るように気をつけるよ!」なんて言って、なかなかいい感じだった。
 ところが。帰宅してしばらくすると、ケンとま〜やがケンカを始めた。お昼ご飯ができるまでの間、ま〜やがヴィオラの練習をしようとしたら、ケンがそばにきて邪魔をし、ま〜やが「あっちに行っててよ」と言っても、ケンは「僕は寝っころがってるだけだよ」と言って動こうとしなかったのだ。ま〜やに何度言われても、ケンはなぜか頑固になって動こうとせず、そのうちみんがやって来て、「ケン、どうしたのよ、良い態度を取るんじゃなかったの? その態度は良くないよ」と指摘されると、ますます頑固になって「僕は横になってるだけで、邪魔なんかしてないもん!」と半べそになる。いつまでたっても騒ぎがおさまらないので、ついに私が、「ケン、ま〜やが練習しようとしているんだから、ちょっと別の部屋に行っててあげなさいよ」と言うと、ケンは「うわ〜ん」と泣きながら二階へ駆け上がって行った… So much for learning about having a good attitude...(汗)
 私はあえてそれ以上は追及しなかったが、しばらくしたら落ち着いたらしく、ケンが降りてきて、料理をする私の隣にひっついた。そこで私は言った。
 「ケン、さっきは、本当は良い態度を取らなきゃいけないってわかってたのに、それが自分にはできなくて、悲しかったでしょ。」
 ケンは、泣きそうになるのをこらえるような表情で私を見上げ、うなずいた。
 「The truth of the matter is, Ken, you can't choose to have a good attitude on your own. I can't, either. Nobody can. That's why Jesus sent us the Holy Spirit. The Holy Spirit is our Helper. He helps us to have a good attitude. The next time you are having a hard time choosing to have a good attitude, pray to the Holy Spirit and ask Him to help you.(本当のことを言うとね、良い態度を選ぶっていうのは、自分の力だけじゃできないんだよ。ママにもできないし、誰にもできないの。だからジーザスは私たちに聖霊様を送ってくださったんだよ。聖霊様は私たちを助けて下さるお方。だから、次に良い態度が選べなくて困る時があったら、聖霊様に『良い態度を選べるよう助けてください』ってお祈りしてごらん)」
 ケンは、黙って何度もうなずいていた。

 頭では何がなすべき良いことなのかわかっていて、心でもそうするべきだと同意しているのに、私たちにはなぜかそれができない時がある。今回のケンスケも、十分わかっていたはずなのに、自分が正しいとわかっていることを選ぶことができず、さぞかし悲しく、惨めで、情けないと思ったことだろう。私にもしょっちゅう経験がある。ケンが泣きながら二階へ駆け上がっていく足音を聞きながら、「どうすることもできない自分〜ケンスケ編〜」だな、と思った。

 本当は、ここで「なすべき正しいことがわかっていながら、それを行なうことができないのは、私たちが罪人だからだよ」と言って、私たちをその罪にある状態から救うために十字架にかけられたイエス様の話をして、いわゆる「罪人の祈り」に導けたらなお良かったかな、と後から思ったりもしたが、多分、こういう惨めな経験は、ケンもこれから何度も通ることになるのだろう。そしていずれ、親に促されなくても、罪深さにある自分の惨めさを嘆き、自らイエス様の御名を呼ぶようになるだろう。その時が来るまで、慌てなくてもいいかな…

 Jesus, thank you for being our Savior...

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