ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

霊的識別力

 しばらく前から、フロリダのレイクランドで起きているという「癒しのリバイバル」とやらの噂をちらちら聞くようになった。「どう思いますか?」と聞かれることもあったけれど、これについては何も知らなかったし、正直あまり興味がなかったので、ノーコメントで通してきた。
 ところが、昨日調べものをしていたら、偶然この「リバイバル」の動画に遭遇し、その様子に驚愕してしまった。まるでオカルトではないですか! 私が見たそのYouTubeのビデオでは、トッド・ベントリーというリバイバリスト(?)が「神よ、私はまだ終わっていません! 天から御使いたちを炎と共に送ってください。私はまだ終わっていません! 栄光の天使を、癒しの天使を、天から解き放ってください!」と祈り、会衆たちと共に「Angel! Angel! Angel! Angel!.... 」とチャントしている。まるで悪霊を呼んでいるかのように聞こえてしまうのは、私だけだろうか?
 また、他のビデオでは、ベントリー本人がこれまでの「癒し」について「証」しているのだが、これがひどい。「信仰の賜物が私に臨み、神が私に『この女性の顔を蹴りなさい』と言いました。それで目の前で祈っていた高齢の女性の顔を、バイカーブーツで蹴りました。私のバイカーブーツが、彼女の鼻に当たったとたん、彼女は神の力によって倒れました」「足に腫瘍のある人がいて、私はその人の足をつかんで『癒されよ』『癒されよ』と何度も床に打ち付けました。そうしたらその人は癒されました」「ある集会では、中国人の男性に向かって全速力で飛びかかり、思い切り殴りました。彼は数メートル後ろにふっとび、歯が折れました」 …… 他にも、ベントリー本人が、会衆を殴ったり首をしめたり、レスリングの業をかけたりしたことを得意そうに語っている。そしてそれを聞いている会衆は、なんと笑っている!! 一体どういうことなのだろう? 彼が叫んだり不気味な笑い声をたてつつ床に倒れ込む様子は、神の器どころか、悪霊に取り憑かれた人のようにしか見えない… ビデオを見ながら、すっかり気分が悪くなった。

 あまりの不気味さに、このトッド・ベントリーという人は一体何者なのだろうかとちょっと調べてみたら、案の定かなり賛否両論のある人物のようだ。なんでも、彼はこのようなミニストリーに入る前に「エマ」という名前の天使に遭遇しているそうで、アメリカのアッセンブリー教団は彼のそのような主張は非聖書的であるとして批判的らしい。そしてつい最近、彼が離婚手続きを始めたことで実質上の失墜。レイクランドの「リバイバル」も8月23日で幕を引き、予定されていた全国巡回やロンドン行きも、今や無期延期状態らしい。

 今、さらに調べていたら、カリスマ誌のエディターJ.Lee Gradyによる記事を発見。(8/13付)これは興味深い。
 彼は、レイクランドのリバイバルやトッド・ベントリーについては、霊的識別力のあるクリスチャンたちが最初から疑義をはさんでいたのに、なぜ誰もそれに耳を傾けなかったのかと今更のように悔やんでいる。Gradyによると、このリバイバルをTV中継していたGod TVは、「ベントリーを批判することは悪魔的で、彼を疑うなら癒しも失います」と放送していたそうだ。Gradyは、ベントリーとGod TVの社長、そしてベントリーを公式伝道者に任命し「霊的覆い」を提供したピーター・ワグナーや、チェ・アン、ジョン・アーノットらは、キリストの身体に対して謝罪すべきだと言っている。うーん、どうも、レイクランドリバイバルからレイクランドスキャンダルへと、あっという間に風向きが変わったようですね。 
 ある著名なペンテコステ派の牧師は、ベントリーの失墜後、Gradyに電話をして、こう言ったそうだ。“I'm now convinced that a large segment of the charismatic church will follow the anti-Christ when he shows up because they have no discernment.”  (カリスマ派の教会の多数は、霊的識別力がまったくないので、反キリストが現れた暁にはそれについていってしまうだろうと、私は今や確信している。)
 多分カリスマ誌は、最初はこのリバイバルをサポートしていたのでしょうか。それがあっという間にこんな結末になり、Gradyもがっかりしているのがありありと伝わってくる。彼は、カリスマ派のこの霊的識別力の欠如は、部分的には彼らの「霊的な飢え渇き」によるものだろうと言っている。「霊的な飢え渇き」自体は良いものだけれど、お腹をすかせた人は、何でも無差別に食べてしまうリスクも負う、と。
 やはり、自分が何を求めているのかを誠実に吟味することも必要なのではないかなぁ? 昨今のペンテコステ・カリスマ派は、そのあたりがちょっとずれてきているように思える… 
 ああ、本当に、霊的識別力をもっと求めていかないと… キリストの身体全体に上に、主の憐れみと恵み、そして主の知恵と識別力が増し加えられますように…


 追記:最初は、私が見たベントリーのYouTubeの動画にリンクをはっていましたが、あまりに気味の悪いものなので、今更誰もこれを見る必要はなかろうと思ってはずしました。

 追記2(8/28):カリスマ誌のエディター、J・リー・グレイディは、5月14日付の自身のブログで、レイクランドリバイバルについて、真摯な疑問を呈していました。 リバイバルが始まったのは4月上旬で、彼は実際にレイクランドに赴いてその様子を自分で確認したそうです。喜ばしいと思えることもあったけれど、疑わしいこともあり、彼は訪問後三週間、この件について祈り、また信頼できる人に相談したそうです。その上で書いた記事が5月14日付のもの。下で紹介しているダッチ・シーツ師の声明同様、彼もとても大切なことを書いています。「レイクランドリバイバル」「トッド・ベントリー」などで検索してこのブログに来られる方たちもおられるようなので、関連のありそうな資料はここからリンクしておきます。
(それにしても、この記事を書くのに3週間祈ったり信頼できる人に相談しつつ自分の心を吟味したというグレイディは、素晴らしい。私など、あの映像を見た次の日にすぐに声をあげてしまったのに… この、とてもセンシティブで混乱した状況で、謙遜な心を持ちつつ、言うべきことはしっかり発信しているシーツ師やグレイディ氏には敬意を表します。)

彼のブログの他の関連記事もご参照ください。

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