ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

ダビデの三勇士

 通読が第一歴代誌にはいった。今朝、11章を読んでいて心に留ったこと。(ここに出てくる記述は、第二サムエル23章の繰り返しなのだけれど…)

 ダビデには、「あの三十人」として言及される三七人の勇士がいる。(第二サムエル23:39) そしてその中の三人で、特別に「ダビデの三勇士」と呼ばれる三人もいる。(ハクモニの子ヤショブアム、アホアハ人ドドの子エルアザル、ハラル人アゲの子シャマ。第一歴代11章では、なぜかシャマは言及されていないが。)

 今までは、ここの記述を読むと、ダビデの将軍として活躍したはずのヨアブの名前が「あの三十人」の中に数えられていないことがいつも心に留った。(参照)しかし、今朝は、この三勇士について記録されている出来事がすごく心に響いてきた。
 彼らは、ペリシテ人との戦いの最中、ダビデが喉が渇いて、「だれか、べツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなぁ」としきりに望んで言った時、命がけでペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それをダビデのところに持ってきた。ダビデは、この三人の勇敢かつ、自分の主人のために命を惜しまない姿に感動したのだろうか、それを飲もうとはせず、注いで主にささげて「そんなことをするなど、わが神の御前に絶対にできません。これらいのちをかけた人たちの血が、私に飲めましょうか。彼らはいのちをかけてこれを運んで来たのです」と言っている。(第一歴代11:15〜19)

 この章では、ヨアブの活躍にも言及されているし、三十人のかしらであり、その武勇伝によって三十人の中では最も誉れが高かったというアブシャイやベナヤにも言及されているのだが、三勇士については、上記のエピソードに触れたうえで「三勇士は、このようなことをしたのである」と書かれている。

 つまり、この三勇士が他の勇士たちとは一線を画していたのは、彼らのダビデに対する命がけの忠誠心ゆえだったということだろうか。どれだけ敵を倒したかという働きの偉大さ以上に、主人ダビデに対する彼らの忠誠心による勇敢な行動が特筆されているというのは、とても興味深い。

 ヨアブやアブシャイやベナヤと、この三勇士のコントラスト… 何が神様にとって大切なことなのか、神様は私たちに一番に何を求めているのか、そんなことを思わされる。
 彼らの働きを駆り立てていたもの、その純粋さがこのような勇気ある行動となって外に現れ、それが神様の目にも留められた。ああ、この三勇士の中にあった心が、私のうちにもありますように。外から見える働きによってではなく、内側にあってその働きを押し出しているものゆえに、主に覚えられる幸いに与れる者であれますように…

 

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