ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

エミの通読

 エミの成長ぶりには日々感謝に尽きないのだが、最近また嬉しいことがあった。
 3年前のちょうど教会を変わった頃、エミは高校一年生で、高校で出合った仲良しのお友達の中にはっきりと「無神論者」を標榜するような子がいて、彼女の信仰や世界観はチャレンジを受けていた。このあたりの話は、またいつか別の機会に詳しく書くかもしれないけれど、とにかくいろいろあって、彼女は「親の信仰」から「自分の信仰」へ脱皮するか、はたまた信仰が潰れてしまうかの瀬戸際に立たされていたようだった。
 ティーンになったら、もはや信仰は親には強要できない。ある意味、祈りつつ愛情を込めて見守るしかない。幸いにして、信仰を後回しにすることは彼女のオプションにはなかったようで、自分にとっての信仰のあり方を模索し始めたようだった。今でもまだ「脱皮」は完了していないけれど、完了に近づきつつあるのを見ている。自分の人生の中で「信仰」が持つ意味、イエス様との関係とは、神様への信頼とは、そういったことが、だんだんと親を抜きにした彼女自身の問題として建て直されつつあるようだ。そして、自分からも積極的に祈るようになっていった。(もちろん、「自分の信仰」になってからも、その後の成長のプロセスは一生続くのだが。)
 そんなエミの様子を客観的にみていて、ただただ感謝だったのだけれど、忙しい彼女の生活の中で、明らかに静まって聖書を読む時間が持てていないことが気になっていた。毎週教会に行き、日々祈ることはもちろん大切。だけど、自分自身が直接御言葉から養われることを知らなければ、成長はやはり途中で止まってしまう。だから、エミが大学生になる前に、なるべく自分から聖書を読む習慣をつけて欲しい、そうなってから送り出したいと願っていた。私にとってのタイムリミットも近づいてきたし、最近そのことについて特に祈らされていた。そうしたら、数週間前の朝、エミが嬉しそうに私に言ったのだ。
 「私、二度目の聖書通読を始めたの」
 そういえば、一ヶ月くらい前から、私が朝起きるとたいていエミはすでに起きていて、リビングルームで何かしていた。私はてっきり、前の晩に終わらなかった宿題を終わらせているのだろうとばかり思っていたのだが、なんと聖書を読んでいたのか!
 彼女は、中学生の頃に一度、新旧両約を通して読んでいる。多分彼女にとって、自分から継続的に聖書を開くのは3〜4年ぶりではなかろうか。なんでも、スモールグループの仲間達と一緒に通読を始めたそうで、通常のSGとは別に、週に一回集まって、その週に読んだ箇所から語られたことを分かちあうためのバイブルスタディも始めたらしい。
 夏に免許を取って、エミ専用の車を買い与えたおかげで、彼女の行動半径は広がっている。今は月曜日はバイスタ、火曜日はSGに、高速に乗って約25分の道のりを出かけている。正直なところ、これを親が送り迎えしてあげるとなるとそれはまた大変なことだったので、いろんな方面から神様の助けが備えられていることに心から感謝だ。
 

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